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 2002年8月30日  ススキノの夜

 すすきの、いや札幌に、遊びに、いや仕事に行って来た。
 同僚のH氏と2人旅だ。ほぼ1年ぶりの札幌だった。

 仕事で、札幌に住んでいたころの旧友に会った。第3者を交えて会うと、彼は必ず、私に関する昔話をする。今回も、H氏が同行していたのを奇貨として、蕩々としゃべり始めた。

 こいつは変なヤツでね。こいつが札幌に来た年さ。雪がそろそろ降り積もって、道路も凍り始めるころだったよ。

 「道が滑るようになってきた。危ないから滑り止めの靴を買ったらどうだね」

 と注意を喚起したのさ。札幌1年生への親切心だよ、こっちは。別に、俺が靴を売りつけて儲けようってなことじゃあない。俺、靴屋じゃないから。
 そしたらさ、こいつが言うのさ。

 「大丈夫ですよ。僕は柔道2段だから」

 って。

 「ハア?」

 ってなもんだよ。一瞬、こいつが何を言ってるのかわからなかったね。
 路面が凍結して滑る。だから、滑り止めの付いた靴を履いて自衛する。これが、自然な論理の流れってもんだ。そこに突然「柔道2段」ときた。
 柔道2段だったら、凍結した道でも滑らないの? 転ばないの?
 絶句したね。こいつの頭の構造はどうなってんだ、単なるバカか? それとも、俺には理解不可能なほど頭いいのか? って考え込んだよ。

  それで、こいつのこと一発で覚えちゃった。

 

 

(後日談)
「柔道2段」の日から数日後、時計台近くの氷結した歩道を歩いていた私は、見事にスッテンコロリンと転けてしまった。
人間は、2足歩行をし、前足というか両手というか、とにかく、胴体から突き出ている4本の突起物(男は5本)のうち、顔に近い方の2本を歩行という労働から解放した。こうして直立すると重い脳を支えることができるようなになり、解放された前足は道具を作る道具に進化した。かくして文明を築く準備が整った。これが歴史の流れだ。
なのに、しりもちをつき、両手を歩道について体を支える。この姿は先祖帰りにほかならない。一時も早く、2足歩行に戻らねば、人としての尊厳が損なわれる。ご先祖様に申し訳が立たない。
「これはいかん」
立ち上がろうとした。
恐るべきは道路を覆い尽くした氷である。上から圧力が加わった瞬間、表面が溶けてわずかな水の層を作る。そのことによって、摩擦係数は限りなくゼロに近付く。私は、その無情な自然の摂理の中にいた。
転けた、再び。
打った、肘を、したたかに。
痛てててっ!  
この様なとき、人は思わず周囲を見回す。
「誰か見てなかったか?」
「私の無様さを見て笑っているヤツはいないか?」

見回して、立ち上がった。転けた。また立ち上がった。また転けた。
私が札幌の地下街に降り、靴屋に駆け込んで
「滑り止めの付いた靴をくれ!」
と悲痛な叫び声を挙げたのは、それから17分42秒後のことだった。

 

 話は突然、現地の友人と別れ、札幌・夜の部へ。

 札幌の夜=すすきのの夜。これは日本の常識である。
 出かけましたよ、すすきのへ。グフッ、グフッ。

 華やかなネオンと、生地を極端に節約したコスチュームが頭の中でぐるぐる回り、訳の分からない(実はよくわかっている)期待に胸を躍らせ、高まるリビドーに背中を押され、スキップを踏みながら、一路目指すは、

 すすきの……

 てなことにはならないんだね、常識と良識をわきまえた大人は。

 いや、大人というより、札幌で2年も生活したことがある私は、すすきのに出向いても、センチメンタル・ジャーニーになってしまう。

 ホテルを出て直行したのは、南5西5の炉端焼きの店
 「憩」
 である。

 この店は、かつて札幌に赴任した私が、初めて

 「札幌にもうまい食い物があった!」
 
  と叫んだ店である。赴任から半年ほどあとのことだ。

  おすすめは、何といっても自家製のトバ。鮭の寒干しだ。これを輪切りにして食する。脂がのって実に美味い。店のオヤジが毎年40本ほど作り、7月1日が食べ始め。なのに、8月中には売り切れてしまう。

 季節によっては、アン肝の昆布巻ききが出る。上質な赤ワインを合わせたいほどの料理だ。これも、憩のおやじのオリジナル。
 おやじの話によると、あるホテルのシェフが

 「この料理をくれ」
  (作り方を教えてくれ)

 と頼んできた。教えてやると、シェフは料理コンテストでこの料理を披露、見事グランプリを射止めた。

 「でもね、あのシェフさんの作ったヤツより、俺の作ったヤツの方が美味いんだよ」

  勤めていた税務署をやめてこの店を開いたおやじの作り出す料理に、私は惚れて通い詰めた時期があったのである。

 通い詰めていた証拠を示そう。それはある日のこと、時間は夜10時近かった。
 仕事でこの時間まで夕食がとれず、腹を空かしてこの店に駆け込んだ。ここ数週間、土日も休めない忙しい日々が続いて疲れていた私は、食事をしたら直ちに帰宅し、体を休める予定だった。
 やっとお腹ができかけたころ、おやじがいった。

 「ねえ、これから飲みに行きませんか?」

 ふだんの私なら、喜んで行く。胸をときめかせながら行く。ところが、この日は一刻も早く風呂に入って布団に潜り込みたかった。それほど疲れていた。

 「ゴメン、今日は勘弁」

 「そんな。たまには付き合ってくれたっていいじゃないですか」

  「いや、このところ忙しくてさあ、極端な寝不足なの。今日ぐらい早く帰って寝たいのよ」

 「なに言ってんですか。寝不足ぐらい何ですか。私だって交際費ぐらいはあるんだから、いいじゃあないの、付き合ってくれたって」

 おやじが交際費を持っている? 私が疲れていることと何か関係あるか?
 反問しつつも、おやじの熱気に飲み込まれた。そこまで言われて断っては、私の男が廃る。

 「わかった、行きましょか」

 顔中を皺にして笑ったおやじは、ジャンパーをまとい、ハンチングをかぶった。なかなかおしゃれである。そりゃあ、これからすすきのの奥の院に足を運び、綺麗どころに取り囲まれるのだから、おしゃれぐらいはしたくなる。オヤジ、男である。
 次に、カウンターの中でくるりと後ろを向いた。そこには、売上を入れてある木製の引き出し付き書類入れがある。上から3段目の引き出しをあけたおやじは、数枚の1万円札を鷲掴みにしてジャンパーのポケットにねじ込んだ。

 「おとうさん、何してんの! それは今日の売上でしょ!」

  カウンターのさらに奥から声が飛んだ。お母さん、つまりオヤジの奥さんである。

 「なに言ってんだよぉ。俺はこれから安堂礼人さんと飲みに行くんだよぉ」

  「どこに、どこにそんな余裕があるの!」

  「なに言ってんだ。たまには俺だって飲みに行くんだ」

  憩のおやじに、夫婦げんかを乗り越えてポケットに突っ込んだ交際費でごちそうになったのは、多分、私以外にはいない。通い詰めなければ、これほどのもてなしを受けるわけがない。

  という思い出のある憩に直行したのである。
  ところが、おやじの姿がカウンターの中になかった。代わって、息子と娘が店を取り仕切っていた。
  聞くと、お母さんが今年2月に81歳で亡くなっていた。おやじも、5月の連休を機に現役を引退、自宅で悠々自適の暮らしに入ったという。現在、82歳。

  お母さんの霊に合掌しながら、時の流れを思い、杯を傾けた夜だった。

 

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