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 2006年3月22日 結婚式のスピーチ

 結婚式における花嫁の父親とは、華やかで喜びに満ちた空間における唯一の悲しみに満ちた存在だそうです。心ならずもその役割を引き受けさせられた立場から、本日は皆様に悲しみのお裾分けをしたいと思います。悲しみが深い分、挨拶が長くなるかも知れません。ご容赦願います。

 私には3人の子供がおります。中で最も父親っ子だったのが、本日結婚しました、末っ子のみのりです。常識的に考えてこれが打ち止めということで、多少甘やかしたのかも知れません、
 札幌で幼稚園に入りました。彼女を幼稚園までお送りする名誉ある仕事は私のものでした。妻が送るといっても拒否しました。自宅から幼稚園まで10分少々、手をつないで2人で歩きました。
 風呂に入るパートナーも私でした。たまの休みには、必ず彼女が風呂に誘います。裸と裸の付き合いでした。もっとも、これは小学校2年生で終わります。先に色気づいた姉が、

 「あんた、まだお父さんとお風呂にはいるの? もうやめないと恥ずかしいよ」

 とでも申したのでしょう。その姉は小学校4年生まで私と風呂に入っていたのですが。
 子供は成長し、女の子は親が望みもしないのに女になって参ります。それが自然です。だから、父と娘の蜜月は、それで終わりかと思っていました。ところが、まだ続きがありました。
 彼女が5年生か6年生の時です。いつものように酒によって午前1時頃帰宅し、そのまま布団に入りますと、すぐに彼女が泣きながら私の部屋に入ってきました。

 「眠れないの」

 そういうと、私の布団に潜り込み、私の腕に頭を乗せてしゃくり上げておりましたが、やがてすやすやと寝息を立て始めました。自宅です。母もいる。兄もいる。姉もいる。でも彼女は父親の帰宅を待って、布団に潜り込んできたのです。まあ、オヤジ冥利に尽きます。
 それが最後でした。これ以降、彼女は自立の道を邁進します。

 「みのり」とは、踏まれても踏まれても生命をつなぎ、実り続ける雑草の強さをもった人間になってほしいとの願いを込めた名前です。
 強い人間になりました。就職して仕事で午前様になることが続いても、体調を崩しても、仕事を続けました。それだけなら健気な子であります。
 ただ、この子は、自分は雑草ではなく、まっすぐ太陽を向いて伸びるひまわり、あるいはあでやかな姿で人を魅了する胡蝶蘭と思っているらしい。そこが親の願いとずれました。
 だから、居丈高です。居丈高に親に説教をいたします。負けません。許しません。そのかたくなさは姉をも上回ります。このような娘を嫁にしようという奇特な若者が現れたことを、本日、改めて神に感謝します。

 みのりは好き者です。すきとは「好き」とも、「数奇」とも「数寄」とも書きます。数寄屋造りのすきです。これは度を超してのめり込むことをいます。余りのめり込みすぎると、身を滅ぼすことにもなりかねない、という言葉です。
 幼稚園時代は、登園時間が迫っても、過ぎても、身だしなみが決まらないと玄関を出ません。服装にうるさかった。だから集団登園の時間に遅れ、父親と手をつないで幼稚園に通ったのです。
 小学校では、これにヘアスタイルが加わりました。朝早く起き、鏡とにらめっこすること15分。ぴたりとヘアが決まるまで動きません。だから早起きなのです。決して、健康のため、母の手伝いをするため、その日の予習をするため、ではありません。問題はヘアスタイル、なのです。
 いわゆるおしゃれな女の子です。長じては、ファッション業界に身を置きました。自分の眼鏡にかなわないものは絶対に自分の近くに置きません。
 その集大成が、横に立つ健三君であります。みのりは、自分の人生をかけて、自分の美意識をかけて、この男を選んだに違いないのであります。
 選ばれた健三君、ご苦労様です。

 健三君は、穏やかな性格であります。何事に関しても、それほど強いこだわりを持っているようには見えません。先日、洗濯物を片づけるようにみのりが健三君に頼んだそうであります。

 「いいよ」

 と二つ返事で引き受けてくれたそうでありますが、あとでタンスを開けてみると、折りたたみもせずに放り込んであったそうであります。乾いた洗濯物はタンスに入れておけばいい。洗濯物はきちんと折りたたまれてタンスに収まっていなければならないというこだわりはゼロです。私に似ております。ずぼら、杜撰、いい加減、と一般的には呼ばれます。我々は似た者親子になれそうです。

 つまりこの夫婦は、凸と凹との組み合わせです。きちっとはまり合います。極めて良好な組み合わせです。

 話は飛びます。
 なんでも、日本の国を生み出したのは、いざなみ、いざなぎのお二方といわれております。高天原から地上におり、
 「なりなりてなりあまれるところ」
 と
 「なりなりてなりあわざるところ」
 を活用して日本という国を生み出した。神話が伝えるところ、我が国は凸と凹との組み合わせでできたわけです。
 してみると、みのりと健三君の結婚は、我が国の伝統を最も受け継いだ美しい取り合わせともいえます。
 きわめてよろしい取り合わせであることは、すでに事実が証明しました。2人はいざなみ、いざなぎの2神にならうこと素直で、本日、みのりが身につけておりますウエディングドレスはマタニティ仕様であります。
 我が妻は、私の学生時代にはらみました。しかし、私は学生結婚であり、結婚式に臨んだ際の我妻は、身重ではありませんでした。この2人は、早くも私どもを超えております。実に頼もしい。

 うらを見せ おもてを見せて 散る紅葉
 江戸時代の曹洞宗のお坊さん、良寛さんの辞世の句です。このような席で「辞世」や「散る」は忌み言葉かとも思いましたが、あえてこの句を使います。
 人というものは、できることなら表だけ、つまり自分で自慢できる部分だけ見せて生きたいものだ。でも、そうは問屋が卸さない。生きるということは、見せたくない裏も見せてしまうものなんだ。だったら、何も無理をすることはないじゃないか。裏も表もあって初めて紅葉なんだから、というような意味だと思います。私はこの句が大好きです。
 みのりと健三君の2人は、まあ、最近のご多分に漏れず、熱々でくっついたカップルであります。まだ、熱は持続しているようです。お互いに表だけを見せ合っている時期だともいえます。
 しかし、夫婦であるということは、いずれ表も裏も見せる時期が来ます。裏があるから表が綺麗に見える、いや、よく見ればうらだって捨てたものではない。そう思えて、初めてしっとりとした夫婦になるのでしょう。
  言うはやすく、行うは難いことです。我々夫婦も、その境地に達したかどうか、これから達するのかどうか、自信はありません。でも、この2人にはそんな夫婦になってほしい。末永く添うてほしい。
 結婚式の決まり文句に、
 「何分未熟な2人でございますので……」
 というのがあります。謙遜かも知れません。しかし私は、2人を未熟とは思いません。自らの意志で生涯のパートナーを選んだ2人が未熟であるはずはありません。未熟であっていいはずはありません。だから、皆様のご支援もご助力もお願いいたしません。
 ただ、2人が、裏も表も見せ合うしっとりした夫婦になるには、成長することが必要です。皆様と一緒に生き、働き、笑い、怒り、泣くことが必要だと思います。皆様とのお付き合いを通じて円熟味を増していくことが必要です。
 どうか、これまで同様、お付き合いください。一緒に笑い、怒り、泣いてください。いいなと思ったら褒めてやってください。何をやってるんだと思ったら、叱り飛ばしてください。
 きっと2人は、それに答えて成長してくれるはずだという親ばかまる出しの思いを述べて、挨拶に代えさせて頂きます。

 

 昨日出席した結婚式で耳にした、新婦の父親のスピーチ。記憶に残った部分を起こしてみた。

 

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