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 2006年4月5日 国家の品格(新潮新書、藤原 正彦著)

 私はベストセラーが嫌いだ。多くの人、というより、多すぎる人が買う本は、それだけでうさんくさい。どうせタレント本の類か、愚にもつかないノウハウ書の類に違いない。中身も見ない前からそう決めつける。
 物を書く人間の嫉妬だろう、って? いや、いや、私の本なんてどこにも存在しない。嫉妬のしようもないのが、私の現実である。

 だからこの本も、読む気がなかった。なのに、文藝春秋に掲載された「愚かなり、市場原理信奉者」を読んで、考えが一変した。この著者の主張に、大いに共感したのである。その経緯は、3月11日にアップした原稿でご報告した。あのあと、すぐにこの大ベストセラーを買いに走った。

 薄い本である。前書きはあるが、後書きも解説もない。根を詰めれば2、3時間もあれば読み終えることができる。
 だが、それなのに、大変に刺激的な本である。

 藤原さんは書く。

 論理ですべてを解決しようという近代的合理精神は壁にぶつかった。自由と平等は欧米が作り上げたフィクションである。民主主義は「成熟した判断ができる国民」を暗黙の前提とするが、国民は永遠に成熟などしない。だから民主主義は修正が必要で、真のエリートを育てる必要がある。
 自然への繊細な感受性、もののあわれという独特な感性、敗者、弱者を思いやる惻陰の情など、他に類のない資質を持つ日本人は、論理を偏重したが故に行き詰まっている欧米型の社会を変える可能性がある。武士道精神を復活し、他のどこにもない異常な国を作ることが世界への最大の貢献につながる。

 えーっ! そこまでいうか? そりゃ、あんた、暴論ですぜ、と最初は思った。日本の歴史だけを見ても、武士階級だけが取り仕切っていた政治に国民が参加するようになり、最初は制限選挙という不平等な形だったのものが、やがてすべての国民が投票権を持つ自由選挙へと変わってきた。それは歴史の進歩だろうが。それをあなたはすべて否定するのか、と噛みつこうとも思った。

 なのに、いつか説得された。目から鱗が落ちた気になった。
 どこでか?

 こういうところである。

 「どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底していくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります」

 近代合理主義精神の真っ向からの否定。人間も地球も宇宙も、論理を徹底すればすべて解明できると考えるのが、我々の生きている時代である。全世界を相手に喧嘩を売っているようなものだ。私にも得心できないものが残った。
 ところが次の一節で、私は、

 「なるほど」

 と納得してしまった。ちょいと長いが、引用する。

 「論理が破綻する三番目の理由は、『論理には出発点が必要』ということです。
 論理というものを単純化して考えてみます。まずAがあって、AならばB 、ならばC、CならばD……という形で、最終的には『Z』という結論にたどり着く。出発点がAで結論がZ。そして『Aならば』という場合の『ならば』が論理です。このようなAからZまでの論理の鎖を通って、出発点Aから結論Zに行く。
 ところがこの出発点Aを考えてみると、AからBに向かって論理という矢印が出ていますが、Aに向かってくる矢印は一つもありません。出発点だから当たり前です。
 すなわち、このAは、論理的帰結ではなく常に仮説なのです。そして、この仮説を選ぶのは論理ではなく、主にそれを選ぶ人の情緒なのです。宗教的情緒を含めた広い意味の情緒です。
 情緒とは、論理以前のその人の総合力といえます。その人がどういう親に育てられたか、どのような先生や友達に出会ってきたか、どのような小説や詩歌を読んで涙を流してきたか、どのような恋愛、失恋、片思いを経験してきたか。どのような悲しい別れに出会ってきたか。こういう諸々のことがすべてあわさって、その人の情緒力を形成し、論理の出発点Aを選ばせているわけです」

 いかがであろう? 思わず、「なるほど」と膝を叩きたくならない? 私は通勤電車の中で読んでいたので、膝は叩けなかったが、大きく頷いてしまった。

 こうした視点から出てくる自由論、平等論、民主主義論、日本賛歌、国家の品格論などは独特で、歯に衣を着せずに既成概念を切り刻む筆は、めっぽう面白い。藤原さんの主張をそのまま受け入れるかどうかは別として、読んで教えられることは多い。読み終えて、自分の中に確固として存在する価値観が、なんだか緩んできたのも事実だ。

 久しぶりに、費やした金と時間が惜しくなかった新書である。
 しかし、こんな本がベストセラーになる国って、将来は明るいはずだよな……。

 

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