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 2007年8月30日 シリーズ夏・その10 膝の痛みと敗北と 

 ずいぶんと間が開いてしまった。
 更新が少ない。これではいけない。次を書かねば。
 という気は常にあった。あったのにできなかった。

 いくつかの原因がある。
 最大の原因は猛暑である。何度も書いたが、九州で生まれ育った山猿であるにもかかわらず、私は暑さにからきし弱い。その弱さがもろに出た。何もする気にならないのである。

 会社に出る。今日は何もしなければならないことがない。「らかす」の次の原稿を書こう。朝起きた時にはそう思う。犬の散歩をすませ、朝食をとり、シャワーで汗を流し、着替えをすませて家を出る。夏の日差しがカッと照りつける。バス停までわずか6、7分の道のりを歩くだけで全身から汗が噴き出す。日差しに照りつけられた頭はボーっとする。バスの冷房で体を冷やし、JR・京浜東北線の冷房で汗を引っ込める。だが、駅から会社まで10分ほど歩き、会社に到着したころには、再び全身汗みずくだ。

 幸い、会社には冷房が入っている。1時間もすればやや汗ばむ程度には落ち着く。さて、原稿を書こうか。だが、日差しに照らされて熱暴走してしまった頭脳は、考えることを頑なに拒否する。もっと冷やせと命令する。

  すぐに昼食の時間である。また日差しの下を歩く。会社に戻ると、朝の繰り返しである。3時を過ぎてやや落ち着くと、今日中にすませておかねばならない仕事に気が付く。仕事をこなして4時半。そろそろ今日の飲み会の場所を考えねばならない。

 かくして、「らかす」の新作原稿制作は放棄される。というより、原稿を書く時間がどこにも見いだせない。そんな日々が続いた。

 

 

(余談)
「あんたの会社、それで給料くれますの?」
という疑問をもたれたあなた。あなたの感覚は全く正しい。私も不思議に思うこと、貴方に劣らないつもりである。
ただ私の場合、
「いい会社に入った」
という感謝の念が付け加わるのが違いである。
名誉のために付言するが、それでも私がまかされている部署は昨年度、開設以来最高の業績を残した。今年度は、それをさらに上回る勢いである。
不思議な会社である。

 

 それでも、夏休みには多少書けるだろうと思っていた。前回は夏休みの初日の模様をご報告したが、なあーに、休みは12日まである。原稿を書く時間は充分に取れると踏んでいた。
 あの翌日、予定通り、瑛汰と海に行った。瑛汰は大はしゃぎだった。
 翌8日、娘と瑛汰が朝からやってきた。
 9日、娘と瑛汰が朝からやってきた。
 10日、娘と瑛汰が朝からやってきた。
 11日、娘と瑛汰が朝からやってきた。
 瑛汰と付き合わずに済んだ我が夏休みは、12日のみだった。その日は、たまりにたまったDVD-Rの整理に追われた。

 加えて、9月1日付で異動することになった。転勤はないが、いずれにしろ、引き継ぎや送別会、社内での引っ越し用の荷作りなど、普段はしなくても済む仕事が発生する。時間はますます削り取られ、やがて皆無となる。

 書こうという気が失せたのではない。このような事情が重なってしまったのである。ついでに書けば、ずいぶん新作をアップしていなかった「シネマらかす」を何とかしければならいという焦りもあった。幸い、悪戦苦闘の末、「シネマらかす# 79:オール・ザ・キングスメン ―ニヒリズムの極地」をアップすることができた。
 ということなのです。ご理解ください。いや、できればご同情ください。


 さて、ここからが今日の本題である。

 受験準備の夏である高校3年生の夏は、私にとっては最後の金鷲旗の夏でもあった。
 その年、私が主将を務める母校の柔道部はこれまでになく強かった。誤解を招かないようにお断りしておく。私が強かったのではない。私のアジテーションにうかうかと乗って柔道部の門をくぐった後輩たち(詳しくは、「グルメに行くばい!第3回:お好み焼き」をご参照ください)が強かったのである。
 1年後輩には、塩崎君と向井君がいた。ともに体が大きく、特に塩崎君はゆうに80kgを超える体にもかかわらず、動きが機敏だった。練習をしても、気を抜くとこちらが投げられる。後輩に投げられるのは嫌だから、全く気が抜けないしんどい練習を繰り返さざるを得なかった。
 そして1年生に清水君がいた。170cm足らずの短躯でがっしりした体つきは豆タンクを思わせた。中学時代に市内の大会で優勝した猛者である。

 その年の夏、我が柔道部に不思議が起きた。どこから沸いて出たのだろうと思いたくなるほどOBが現れたのである。入学時から柔道部に身を置いていた私が1度も見たことがないOBばかりである。放課後になると、頼みもしないのに柔道場姿を現し、真偽のほどは分からないが、かつてこの柔道部にいたといいながら、

 「今年はよかごたるな。じゃけん、稽古ばつけに来たったい」

 と柔道場の真ん中を占拠する。

 「へえ、うちにもあげな先輩たちのおらしたとたい。ばってん、なんで去年までは来んかったと?」

 と誰でも思う。私も思った。
 いまは分かる。を売りたいのだ。勝ち馬に乗りたいのだ。

 「俺が面倒ばみてやったとたい」

 と自慢したいのだ。いい格好をしたいのだ。
 その年初めて姿を現したOB連中はその程度のものである。

 それが分からない当時でも、迷惑な思いは持った。金鷲旗に向けた調整のペースが狂うのである。楽しく練習できないのである。それに、試合直前になって急に難しいことをやっても、激しい練習をしても身に付くはずがない。
 だが、OBと名乗る以上、無碍にもできない。

 恐れていたことが起きたのは、彼らが顔を出すようになって1週間ほどたった時だった。
 私は仕方なく、その1人と乱取りの稽古をしていた。実戦さながらに試合をするのである。
 私の得意技は跳ね腰であった。長身を生かして右手で相手の奥襟を掴み、左手は相手の右袖を握りしめる。組み合った態勢から体を180度回転させ、我が背中に相手の胸から腹を密着させて体を浮かせる。同時に右足をくの字に曲げ、相手の右足を跳ね上げながら体を捻る。決まれば、相手の体は大きく弧を描いて回転し、ドウとばかりに畳に打ち付けられる。実にダイナミックな技である。

 その日何度目だっただろう。そのOBに向かって跳ね腰をかけにいった。積極的に技をかけるのは後輩の使命なのだ。相手の体が浮いた。今度こそ投げることができる。OBなどと偉そうなことがいっているが、この程度か。
 私は勝ちを確信した。
 その瞬間だった。左足の膝がグキッと音をたて、鋭い痛みを発した。私はその場に崩れ落ちた。

 跳ね腰をかけられた場合、防ぎ方が2つある。

 1つは、相手の袖を持った方の手で相手の体を強く押し、体が密着しないようにすることである。この時少し膝をかがめれば完璧だ。体が密着しないから浮かない。場合によっては、相手は技をかけようとした自分の勢いで転んでしまう。

 体が密着してしまったらどうするか。浮き始めた左足を、相手の左足に絡める。こうすれば、自分の体が相手の体より前に行くことはなく、投げられるのを防げる。だが、これはかなり高度な防ぎ方である。よほど数多く投げられないと身に付かない。

 我が相手をしたOBは、たくさん投げられていたらしい。実にスムーズに左足を巻き付けてきた。左膝の痛みは、OBの左足を巻き付けられて、膝の関節が逆に曲がろうとしたために生じたものであった。

 左膝を抱えて蹲る私の周りを、心配そうな顔をした部員たちが取り巻いた。

 「安堂さん、大丈夫ですか?」

 口々に言いながら、氷水で冷やしたタオルを持ってきてくれる。私の体を数人で抱え上げ、道場の隅に運んでくれる。
 痛かった。そっと曲げ伸ばしをした。激しく痛むが、曲がらないことはない。伸ばせないこともない。恐らく、骨にまでは異常ないだろう。一安心はしたが、痛いものは痛い。立つこともままならないくらいだ。
 その日はそれで練習を切り上げ、痛む足を引きずりながら帰宅した。湿布を貼って治療した。痛みは1週間引かなかった。柔道の練習などできるはずがなかった。

 このOB、はっきり言ってバカである。大会まで1ヶ月を切っているのに、出場選手を負傷させてどうするというのか?
 私が積極的に技をかけた。いいタイミングで技が入り、自分の体が浮いたのなら、素直に投げられればいいではないか。投げられて、

 「おい、安堂。いいタイミング入ったばい。このタイミングば忘れんな」

 と言っておけばよい。さすれば、たいして強くない安堂選手ではあるが、先輩を投げたという自信を持って大会に臨むのである。
 それが、たぶん後輩に投げられるのを潔しとしないプライドがあったものだから、必死に左足を巻き付けた。投げられ続けて身につけた防ぎのテクニックである。その結果、後輩を傷つけ、大会前の大事な時期に練習ができなくしてしまった。
 これをバカといわずに、何をバカという?

 そして金鷲旗大会。私はこの大会に3回出場した。過去2回は1回戦で完璧に負けた。それがこの年、なんと1回戦に勝ってしまったのである。しかも、大将(5人でチームを組み、その一番最後に出る偉そうな選手)である私の出る幕はなかった。勝ち抜き戦で勝敗を決するのが金鷲旗のやり方で、私の1人前である副将までで相手の5人をすべて倒したのである。快挙であった。

 2回戦は山口県の高校が相手だった。それだけならいいのだが、なんとこの相手校、シードされていたのである。大会本部が認めた強豪校ということだ。さすれば焦点は1つしかない。我々はどんな負け方をするか。惨め怠け方だけは避けたいが……。

 塩崎君も、向井君も、清水君も、引き分けか負けで試合を終えた。とうとう私が初めて試合に出た。相手は副将だった。我が校が勝つには私がこの副将を倒し、さらに相手の大将に勝たなければならない。
 柔道とは、組み合って体を動かしていれば緊張などしないものだ。我が柔道部の名誉を賭けて1人戦う私に緊張感はなかった。どうやってこいつを倒してやろうか、どのタイミングで跳ね腰をかけてやろうか、相手の技をどうかわしたやろうか。それしか頭になかった。試合時間は、確か4分。必死だった。
 
 「それまで」

 審判の声がかかった。私は倒れなかった。倒せもしなかった。

 「判定、引き分け!」

 相手校はまだ、大将を残している。この瞬間、我が柔道部の敗北が決まった。
 悔しさはあった。だが、爽快感もあった。そうか、俺たち、シード校とほぼ互角の試合ができるほどの柔道部だったのか。

 いまなら、すぐに大会会場をあとにし、全員でビールを飲みに出かけるところである。残念ながら当時は高校生だった。全員でジュースを飲み、電車に乗って故郷に帰った。出迎えはなかったが、全員晴れ晴れとした顔で自宅に向かった。

 これが、わが高校3年の夏である。翌日から、翌春にせまった大学受験に向けた準備に明け暮れたのはいうまでもない。

 バカと、膝の痛みと、勝利と、敗北と、そして爽快感。我が高3の夏は、いまでも私の中で生き続けている。塩崎、向井、清水……。彼らはどんな人生を送っているのだろう?
 

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