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 2008年7月18日  続シリーズ夏・その1 15の夏

 まだ梅雨明け宣言は出ないが、関東地方はすでに完全な夏である。汗ばみながら目覚め、犬の散歩で汗みずくになり、シャワーで汗を洗い流す。でも、会社に着くころには再び全身が汗ばんでシャツが体にまとわりつく。
 私が大嫌いな季節の到来だ。

 今年は6月が涼しかった。ほとんどの夜、エアコンなしで眠れた。近年にないいい年であった。

 「だから、今年は盛夏の時期は短いはずだ。あと2ヶ月、あと2ヶ月。あと2ヶ月したら涼風が吹き始める」

 私は毎日、呪文のように唱えている。唱えながら、やっぱり叫んでしまう。

 「暑い!」

 いくら叫んでも涼しくなってはくれないのが無情な現実である。であれば、私なりの避暑法を実行せねばならない。
  今年も書いてみるか、「夏」を。心頭滅却すれば火もまた涼し。書くことに集中できれば、少しは暑さを忘れられるもんなぁ。
 というわけで本日、「続シリーズ夏」を立ち上げる。昨年の「シリーズ夏」の続編とご理解いただきたい。

 いまをさかのぼることウン十年前の夏、中学3年生だった私は、アメリカにいた。サンフランシスコを皮切りに、ロサンゼルス、ハワイと巡る10日間の旅である。
 サンフランシスコでは坂の多さに驚き、涼しい夏に感激し、金色ではなかったゴールデンゲートブリッジに拍子抜けした。
 ロサンゼルスではディズニーランドに遊び、どこかの映画スタジオで砂金掬いに挑んだ。
 ハワイでは地元料理が口に合わず、ポップコーンとアイスクリームでお腹を大きくした。ワイキキビーチで肌を焼いたのに、すぐ目の前にダイヤモンドヘッドという観光名所があることを知ったのは帰国したあとである。

 ここまで読み進んで、

 「あれっ?」

 と思われた方は、「らかす」の熱心な読者である。

 「お前、中学時代は極貧生活ではなかったっけ? 奨学金がもらえなければ、高校にも大学にも進めない家庭の子だったはずじゃないか。なのに、どうしてアメリカなんぞに行ける? 暑さに狂って妄想が沸き起こってるんじゃないか?」

 お疑いはごもっともだ。だが、15歳の私がアメリカに雄飛したのは、我が家が極貧であったと同じく事実である。
 もちろん、親に渡航費をせびったのではない。我が親は、逆立ちしてもそんな金を出せるはずがなかった。
 親切にも、孫悟空がキン斗雲に乗せてくれたのでもない。我が家の倉庫から、たまたま空飛ぶ絨毯が出てきた、という幸運にも恵まれなかった。ましてや、当時の私に太平洋を自力で泳ぎ切る持久力も技も備わってはいなかった。
 私は、生まれた初めて飛行機に乗り、アメリカ大陸に渡ったのである。
 今回は、そんな夏の話を書く。


 私は小学校5年生から新聞配達をしていた。受け持ちの約90軒に、朝夕、新聞を届ける。
 当時は日曜日も夕刊があった。加えて、いまのように休刊日が多い時代ではない。年間の休刊日は3日だけ。新聞が出ないのは、元日の夕刊と2日の朝刊、こどもの日の夕刊と翌日の朝刊、秋分の日の夕刊と翌日の朝刊だけだった。
 考えてみれば、かなり過酷な労働環境である。しかも、当時新聞を配っていていたのは、ほとんどが私のような子どもだった。10歳や12歳の子どもが肩にかけた下げ紐に新聞の束を挟み、あるいは自転車の荷台に新聞の束をくくりつけて新聞販売店を飛び出していた。山田太郎が歌う「新聞少年」がヒットしたのは昭和40年である。
 世の中、まだまだ貧しかった。

 いや、こんな話は今回のメインではない。私の配達区域に、中学から私立に進んだ我が憧れの女性の自宅があったことも関係ない。
 小学5年生から新聞配達を始めた私は、中学3年になっても新聞を配っていた。そんなある日のことだ。

 「安堂君、ちょっとこっちに来んね」

 配達に出ようとしていた私は、新聞販売店主に呼ばれた。
 大人に呼びつけられる。ろくな話であるはずがない。どこかに今朝の朝刊を配り忘れたか? 入れ方悪くて、新聞が破れていたか? いや、今日はそんなはずはないが……。ほかに何か怒られるようなことをしたっけ? 

 「はい、何でしょか」

 呼ばれたら、内心はどれほど動揺していようと、返事をするほかない。

 「あんた、アメリカに行こごとなかね?」
 (君はアメリカに行きたくはないか?)

 これ以上唐突な話もない。アメリカ? 俺とアメリカに何の関係がある? 行きたくないか、だって? 行きたくたって、行けるはずがないじゃないか。このおっさん、何を突拍子もないことを言い始めるんだ?

 「いや、考えたこともなかですけん」

 「そげんやろねえ。そりが今度くさ、新聞社が、新聞を配りよる子どもん中から10人選んでくさ、アメリカに連れて行くげなもんね。そっで、九州からも1人選ぶとげな。あんたがアメリカに行ったっちゃよか、ち思うなら、あんたば推薦しようと思とっとばってん、どげんね?」
 (そうだろうねえ。それが今回、新聞社が、全国の新聞少年から10人選んでアメリカに連れて行くそうだ。九州からも1人選ぶそうだ。君がアメリカに行ってもいいと思うのなら、君を推薦しようと思うのだがどうだろう?)

 話はこうである。
 私が配っていた新聞の発行元である新聞社が、前年から新聞少年の派米制度を作った 。日々新聞の束を抱えて宅配している中学生・高校生から選抜してアメリカに派遣するする。初年度は関東だけが対照で、5人がアメリカに行った。今年から人数が10人に増え、対象地域が全国に広がった。九州・山口地区からは1人が選ばれる。派遣期間は10日。目的地はサンフランシスコ、ロサンゼルス、そしてハワイ。アメリカの新聞少年と交流したり、現地で成功している日系人たちを表敬訪問したりの旅だが、もちろん観光もある。
 
 どれほど高邁な新聞を作ろうと、読者のもとに届かないのでは意味がない。読んでもらえないからだ。その大事な役割を、まだ体も出来上がっていない子どもたちに託さざるを得ない。そんな新聞社の罪滅ぼしでもあったろう。
 あるいは、新聞事業を末端で支える子どもたちの中にも、ひょっとしたら将来の日本を支える逸材がいるかも知れない。そんな可能性を持っている子どもに広い世界を見せるのは国家百年の計である、との狙いもあったろうか。
 まだ海外渡航が不自由な時代に、子どもたちをアメリカに派遣する先進的な新聞社、というイメージ戦略も働いていたはずである。

 いずれにせよ、私に拒否する理由などない。連れて行ってもらえるのなら、アメリカでもヨーロッパでも大歓迎である。

 「はあ、そげんこつなら、よろしくお願いします。ばってん、僕でよかとですか?」

 「うん、あんたば推薦しようと思とっとたい。ほんなら書類ば出しとくけんね。そんうち面接のあるけん、福岡まで行かんとでけんたい」

 (うん、君を推薦しようと思っている。だったら書類を出しておく。そのうち面接があるから福岡まで行ってもらわねばならない)

 こうして私は、派米少年候補となった。 青天の霹靂であった。
 15の夏が目前に迫った春のことだった。

 ということで、今回はまだアメリカに行くところまでは至りませんでした。次回はせめて羽田あたりまでは行きたいと思っております。

 

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