●日誌一覧

シネマらかす

グルメらかす

音らかす

旅らかす

スキーらかす

事件らかす

 2008年8月7日 続シリーズ夏・その10 やりてーっ!

 今日は急遽休みを取った。次女が病を発したからである。
 
 昨日は遅く帰宅した。仕事先と酒を酌み交わした。帰宅すると、いつものように妻は寝ていた。だから言葉は交わしていない。
 今朝犬の散歩から戻って初めて、次女の病気を聞かされた。夏風邪で発熱し、全身に発疹が出ているという。まず医者に行き、あとは安静にしているしかない。
 そこまでは簡単な論理である。問題は瑛汰だ。その間、誰がこのいたずら盛りの坊主の面倒を見る?

 旦那は歯科医である。今日はすでに患者の予約が入っている。突然休んでは患者に迷惑をかける。
 では、妻が見るか? 不可能である。元々健康体ではない。いたずら盛りの瑛汰に1日付き合ったら、明日は次女と一緒に寝込んでしまう。
 では誰が? これは簡単な引き算だ。しか残っていない。偶然、というか、幸いというか、あるいは不幸にしてと表現した方がいいのか、どうしても今日しなければならない仕事はない。
 計算が簡単であることは、計算した結果はほとんど正しいことでもある。かくして私は会社に連絡を入れ、妻、次女、瑛汰の専属運転手兼瑛汰の養育係となった。

 9時前に次女の住むマンションまでお迎えに行った。次女と瑛汰を車に乗せ、次女を医者で降ろした。そのまま自宅に戻り、瑛汰につきっきりとなった。

 我が家に着くなり、瑛汰は玄関にあったシャボン玉に目をとめた。2人でシャボン玉遊びを始める。といっても、私はシャボン液が入っているボトルを持っているだけである。瑛汰はこの中に先がギザギザになった筒を差し込み、取り出して吹く。そのたびに10数個のシャボン玉が飛び出す。2歳のガキもなかなかやるものである。
 3階にあったビニールプールを2階に降ろした。この中で瑛汰を遊ばせるためである。中で遊んでいるだけかと思ったら、プールを逆さまにし、プールに覆われて遊び始めた。2歳のガキにプールの役割についても先入観念はない。逆さまにしようと斜めにしようと、遊んで楽しければいいのだ。
 瑛汰に、CDを聴けと勧めた。瑛汰はCDラックから好みのCD(たまたま目についたCDといった方が正しい)を取り出し、アンプとCDプレーヤーのスイッチを入れる。プレーヤーのトレーを開いてCDをセット、トレーを元に戻し、プレイボタンを押す。2歳のガキがすべて自分でやる。音楽を聴くより、こうして機械を触るのが好きなのである。
 11時、私と一緒に布団で寝た。私に抱かれて寝ることはしばしばあったが、一緒に布団で寝たのはこれが始めてである。

 てなことが夕方まで続いた。
 7時過ぎに次女と瑛汰を送り届けた。戻ってきたら妻が、

 「お疲れ様」

 といった。
 瑛汰と次女は明日も来るらしい。明日の仕事、どうしよう?


 「やりてーっ!」

 ヨセミテ公園の夜の静寂(しじま)を破り、 変声期を終えた若者の蛮声がバンガローから響き渡った。

 「やりてーっ! あぁ、ヘレン! やりてーっ!」

 声の主は、我が同行者である。東京から来ていた、確か蘇我君といった。高校2年先生だった。
 ヘレンとは、このヨセミテ公園で昼食を取ったレストランのウエイトレス嬢だ。なお、彼女がヘレンであったかどうかは不確かな記憶なので、そのあたりは適当に別の名前に入れ替えてもらっても構わない。だが、すらりとしながら胸の大きな、なかなかの美形で、男心を誘う女性であったことは確かである。

 いや、蘇我君、気持ちは分かるような気がする。でも、そんな気持ちになったからといって、人前で、大声で叫ぶか? それって、人間としてはしたなくはないか? 
 と田舎の中学3年生は考えた。
 だが、東京の高校生とは、劣情を持つ己を恥じないものらしい。恥じるどころか、己が抱いた劣情を、人前で堂々と表現するものらしい。ひょっとしたら東京とは、人の皮をかぶった獣の住むところなのか? 犬も猫も、その時期にはおおっぴらだもんなあ。それにこいつ、高校生のくせして、ひょっとしたらやったことがあるのか? 東京って、パラダイスなのか?
 私は、純情で真面目な田舎の中学3年生であった。

 という夜を迎えるとはつゆ知らず、我々は車でサンフランシスコを出発した。私が乗ったのは米国製のワゴン車だった。
 いまネットで調べると、サンフランシスコからヨセミテ公園までは、車で4、5時間の旅だ。が、ネットは、その間の暑さを伝えてくれない。
 道程のほとんどは砂漠なのである。8月、真夏の砂漠は人に心地よい場所ではない。

 とにかく暑かった。我々の車には、確かカークーラー(カーエアコン、ではない)が取り付けてあった。だが、砂漠に照りつける夏の日差しは、カークーラーなど鼻にも引っかけなかった。
 車内にある冷気の吹き出し口は、ゴーゴーという音とともに、絶え間なく空気を噴き出していた。
 だったら、快適だったのでは?
 とお考えになる皆さんは、砂漠をご存じない。あるいは、現代の快適なカーエアコンしかご存じない。
 その時冷気吹き出し口から出てきていたのは、なま暖かい空気でしかなかったのである。

 「暑い!」

 全身から汗が噴き出す。ひょっとしたら、と思って窓を開ける。このなま暖かい冷気より、窓から勢いよく吹き込む外気の方が快適なのではなかろうか?
 窓からは、確かに勢いよく外気が流れ込んだ。むろん、冷気ではなかった。なま暖かい空気でもなかった。
 勢いよく流れ込んだのは、熱気だった。2人だけの部屋のなま暖かい空気を扇風機がかき混ぜる、といえば、何となく夏のエロスを感じる。この2人、それでも汗がながれることをしちゃうんだ、とゾクゾクする。
 だが、車の窓から吹き込んでくる熱気は、ひたすら暑いだけだ。何の隠微さもない。

 あわてて窓を閉めた。熱気より、なま暖かい空気の方がまだ我慢できる。いつしか私は、汗にまみれながらウトウトし始めた。眠る。不快さから逃れる唯一の道である。

 ウィキペディアによると、ヨセミテ公園は高度600mから4000の地帯に広がっている。私たちが宿泊したところが高度何mの地点だったのかは不明だが、気候は快適だった。砂漠を抜けてこの地に到着した我々は、灼熱の東京を離れて軽井沢の別荘にたどり着いたようなものである。いや、軽井沢の別荘、なんてものとは全く無縁の暮らしをしている私だから、灼熱の東京を離れて軽井沢の別荘にたどり着いたようなものではなかろうか、と想像する、と書くのが正確かも知れない。

 ヨセミテ公園は太古の昔、氷河が大地を削り取ってできた地形が最大の売りだ。我々はこの公園の見所を案内してもらった。
 ジャイアントセコイアの巨木を見た。巨大な木を取り囲み、手をつなぎあおうとしたが、4、5人では手をつなぎきれなかった記憶がある。
 その異様さがいまでも頭にこびりついているのは、ハーフドームだ。半球形の巨大な岩である。元々球形の岩であったかどうかは分からないが、氷河が削り取って遺されたのがこの岩である。私は何度もカメラのシャッターを押した。

 公園内の観光を終え、夕食が済んだ。あとは寝るだけ。気分が緩む、心地よい時間である。それに、サンフランシスコ以来の強行スケジュールで、かなり疲れていた。こんな日は早寝に限る。こんな山奥の自然公園で、夜やることもないだろう。不足続きの睡眠時間を補う絶好の機会なのだ。
 ま、蘇我君はひたすら自分の劣情と闘っていたわけだが。

 だが、新聞社とは、関係者に過酷な時間の使い方を求めるものらしい。

 「さて、今日は夜のスケジュールはなにもないので、これから君たちにやってもらいたいことがある」

 我々の引率のために新聞社から来ている人が話し始めた。

 「これからそれぞれのバンガローに戻り、新聞に載せる記事を書いてもらいます。君たちがアメリカに来て体験したこと、感じたことを故郷の読者に届けるのです。君たちの記事は新聞の地方版に載ります。今晩中に書いて下さい。思った通りに書いてくれればいいのです。私が見せてもらって日本に送ります」

 えーっ、俺って、作文はあまり得意じゃないんだけど。作文で褒められたのは小学校6年生が最後で、中学に入ってからは読書感想文で入選したこともない。入選する感想文って、

 「『走れメロス』を読んで。
 (中略)
 走って、メロス、私は心の中で叫んでいました。だめ、止まっちゃだめ。あなたは走るのよ。息が続く限り走るのよ。命をかけて走るの。だって、友情って、信頼って、命より重たいものなんですもの!」

 なんていう、鳥肌が立つほど気持ちの悪い文章だったものな。あれがいい作文だとしたら、俺には絶対に書けない。ま、文才がないのかも知れないけど。

 だが、拒否する自由はなかった。我々に、アメリカの地を踏ませてくれた新聞社の恩義に報いなければ、と考えたのではない。大人が命じたことを拒否する自由は、まだ子供である我々にはないと感じていた。大人には逆らいがたい威厳があった。
 最近の大人にはあまり威厳はないらしいが。

 「それでね、これから原稿を書いてもらうが、午後9時(だったと思う)から、ファイヤーフォール、というものがあります。日本語にすれば火の滝、です。これは美しいから見ておいた方がいい。じゃあ、原稿を頼むね」

 全員バンガローに戻り、渡された原稿用紙に向かい合った。新聞に載る? 何を書けばいい? ちっとも思いつかない。締め切りが迫るのに、原稿用紙が埋まらない作家の気分である。いたずらに時間だけが過ぎていく。

 「おい、もうすぐ9時だぜ。外に出てみようよ」

 誘われてバンガローを出た。遠くの崖の上に火が見える。焚き火かな? あんな孝夫ところで焚き火をしてどうしようってんだ? これから何が起きるんだ?
 と思った時、崖の上から火が落ちた。崖の黒いシルエットを背景に、暗いオレンジ色の火が滝のように流れ落ちていく。崖の上と下を火のベルトがつないだ。

 「あれはね、崖の上で焚き火をして、それを崖から落とすんだよ。それがファイヤーフォールなんだ。綺麗だろ?」

 引率の新聞社の人が解説してくれた。

 

 

(?)
このファイヤーフォール、ネットで探しても出てこない。
探し方が不十分なのか?
もう、こんなイベントはやってないのか?
夢のような美しさだった。もし、もうやっていないとしたら残念だ。ヨセミテ公園を再訪する計画はないけれど。


 

 バンガローに戻り、原稿用紙に向かい合った。書かねばならぬ。逆に言えば、書きさえすればいい。

 そういえば、思った通りに書けばいい、っていってたよな。思った通り、うん、これしかない!

 「疲れた。スケジュールが強行軍過ぎる。いろんな体験をさせようということかも知れないが、この強行軍では疲れるだけで、1つ1つの体験を消化できない。スケジュールのたて方に問題があるのではないか」

 むろん正確ではない。だが、そんな趣旨のことを書いた記憶はある。そして、できあがった原稿を、意気揚々と新聞社の人に提出した。私は、いま感じていることをその通りに書いた。何か文句はあるか?
 蘇我君が蛮声を出し始めたのは、そのあとのことだ。が、まあ、これはすでに書いた。

 「おい、安堂君、この原稿はひどい。書き直せ」

 思いもよらなかった叱責が翌朝来た。ひどい? どこが? だって、思った通りを書けといったのはあんただろう? 僕は思った通り、感じた通りを書いただけだ。何で怒られなきゃいけないの?

 「君の故郷ではね、滅多にできない体験をしている君が、アメリカで何をし、何を感じ、何を学んだかを読者が知りたいと思って待っているんだ。者は期待して待ってるんだよ。そんな人達に、疲れた、スケジュールが過酷だ、なんてことを伝えるのか? 読者は自分でできない経験を君がしているから、君の原稿を読みたいんだ。そんな人達のこの原稿を読んでもらうのは失礼じゃないか?」

 いま、この年齢になって考えれば、これは正論である。中学3年生のガキが、ほとんどだれもいったことがないアメリカに突然派遣され、何をやってるかと思ったら、

 「疲れた。スケジュールが酷い」

 というレポートを送ってくる。
 おい、この阿保ガキ。よく聞けよ。お前は極めて得難い体験をしているんだ。わずか10日間しかない米国滞在をできるだけ豊かなものにしようと関係者の皆さんは努力されたのだ。みっちり詰まったスケジュールはその現れではないか。
 それなのに、疲れた? スケジュールが過酷だ? 甘えるんじゃねえ。そんなだと、手前、ろくな大人になれないぞ!

 いまなら分かる。
 だが、当時の私の世界は狭かった。読者? そんなもの知らない! 期待してる? そんなこと、俺が頼んだか

 原稿を突き返され、私は書き直した。だが、納得しないままの書き直しである。力が入るはずもない。
 書き直した原稿で私は何を書いたのか、片言隻句も記憶にない。

 私がろくな大人にならなかったのは、そのためかも知れない。


 ここで締めくくれば、まあ、なかなかいい締めになる。が、書き残したことがある。以下、蛇足

 篤実、私はヨセミテ公園内の売店で買い物をした。サングラスである。夏の強い日差しがやや苦になっていたこともある。が、それより大きかったのは「悪」を演じてみたかったのだ。純真で真面目な田舎の中学3年生も、「悪」の魅力をどこかで感じ始めていた。悪いヤツって格好いい。悪いヤツはサングラスをかけてる!

 で、買った。当時の価格で3ドルか4ドルだったと思う。いい買い物をした。私は満足感に浸った。なにしろ、アメリカでの買い物なのである。狭い日本で暮らすしかない人々には絶対にできない買い物なのだ。
 そのサングラスを子細に見た。日本に帰国してからのことである。

 Made in Japan

 隅っこに、小さく書いてある文字を見つけた時の 私の気持ちを、さて、どなたが理解して下さるだろう?
 俺、アメリカまで出かけて日本製品を買ったの?
 当時、
 
Made in Japan
 はまだ、安かろう悪かろうの時代だった。

 

前の日誌                 next
無断  メール