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 2008年8月25日 続シリーズ夏・その12 夏の終わり

 今朝、東京は雨。おかげで湿度は高いが、気温は20℃を少しばかり上回る程度である。今年は秋の訪れが例年になく早い。どんちゃん騒ぎでもして祝いたいところだ。

 であれば、続シリーズ夏に一刻も早く終止符を打たねば季節感がずれる。とは分かっていたのだが、昨日までは何ともならなかった。
 前回書いたように、12日に長女と啓樹が四日市からやってきた。20日には長女の旦那も加わり、一時的に我が家の人口が2.5倍に増えた。いや、ほぼ連日次女と瑛汰がやってきたので、実質3倍から3.5倍というところか。
 
 さてこの間、啓樹と瑛汰から解き放たれたのは、仕事がらみの飲み会があった12日と21日の夜、それに長女と瑛汰が次女宅に「お泊まり」に行った17日、仕事があった19日だけだった。

 13日、みなとみらいに出かけた。啓樹が来た時の定番である。目的地はトイザらスボーネルンド。おもちゃに目がない2人を尻目に、私はチャイルドシートをお買い上げ。既存のチャイルドシートでは啓樹が収容できなくなったからだ。子どもは驚くべき速度で成長する。

 14日、川崎ラゾーナに出かけた。目的地は島村楽器。エレキギター用のアンプ、弦、マイクを買った。いま啓樹はロックンロールにご執心だ。我が家に長男が使っていたヤマハのエレキギターがあった。こいつで遊ばせようと思っての買い物だ。
 ストラップを短く調整し、ギターを啓樹の肩から提げる。啓樹はピックを持ち、むちゃくちゃに弦をかき鳴らす。マイクスタンドにセットしたマイクでがなるのは、オリジナルの
 うるさいロック
 である。声を振り絞って

 「うるさい! うるさい!」

 と連呼するだけなのだが、啓樹はお気に入りだ。啓樹のお気に入りは瑛汰にも伝染する。瑛汰も横で、

 「うるさい! うるさい!」

 と連呼する。いや、正確にはサ行の発音が正確には出来ず、

 「うるしゃい!」

 ななるのだが、それはどうでもよろしい。で、盛り上がってくるとマイクの取り合いが始まる。

 「ダメだよ、僕が使ってるんだから」

 「瑛汰も、瑛汰も」

 「ダメ!」


 一悶着に決着がつくと、再び

 「うるさい! うるさい!」

 が始まり、瑛汰が文句をつける。

 「小さいよ」

 音が小さいというのである。私の耳には充分な騒音なのだが。

 近くの平安公園にある市営プールに出かけた。
 1回目は子どもプールであった。これなら、私が短パンをはいて水に入れば、2人の面倒を見ることが出来る。
 水泳教室に通う瑛汰は水が大好きだ。頭の先まで潜るなんて平気の平左である。何しろこの坊主、プールサイドからジャンプして水に飛び込む。足がプールの底につくと、足で蹴って水面を自力で目指す。
 だが、啓樹は慎重派だ。プールでは浮き輪が手放せない。それでも、瑛汰の積極姿勢には兄貴分として感じるところがあったらしい。

 「僕も」

 と水に潜る。すかさず褒める。可能かどうかは別として、子どもは褒めて育てたい。豚だっておだててやれば木に登るのである。子どもはどこまでも上って欲しい。
 私から少し離れていた瑛汰が、突然水に倒れ込んだ。全身が水面下に潜った。目の片隅で、監視員がハッとしたのが分かった。いまにも駆けつけそうな顔をしている。瑛汰一流の水との戯れ方が、彼の目には水難事故に映ったらしい。

 「大丈夫だよ」

 笑いながら監視員に声をかけて安心させた。
 2度目も子どもプールに行くつもりで自宅を出た。

 「おい、写真を撮ってくれよ」

 と長女の旦那に声をかけ、4人で出かけた。私は短パン姿である。
 プールに着き、子どもプールの入場券を買おうとした。子供用プール、大人用プールがそれぞれ1つずつしかないここにも、自動発券機がある。なのに受付が2人いる。2人もいれば発券機はなくても十分運用できるはずだ。発券機の設置は税金の無駄遣いとしか思えないが、まあ、それは今回の主題ではない。
 自動発券機にコインを入れた。ところが、1枚60円の子供用プール利用券のボタンを押しても、何も出てこない。

 「これ、壊れてるよ。ボタンを押しても券が出てこない」

 受付に座っていた女性にクレームをつけた。

 「あ、もう子供用プールの利用時間が終わっていますので」

 時刻は午後4時を回っていた。子供用プールは午後4時で終わりだという。そばには、水着を着込んでやる気満々の啓樹と瑛汰がいる。

 「えっ、泳げないの? 困ったなあ」

 困惑する私に彼女はいった。

 「大人用だったら5時までやってますが」

 3歳半と2歳の子どもを連れて大人用プール? が、ここで引き返すことを2人が納得するはずがない。

 「ぁ、啓樹は浮き輪に捕まっていれば大丈夫ですから」

 と啓樹のパパがいった。彼はあくまでカメラマンの位置にとどまり続ける意向らしい。うん、それはいい。でも、私は水着を着ていない。短パンをはいているのだ。どうする?
 が、この状況で選択肢はない。私はシャツを脱ぐと、短パンのままプールに入った。啓樹のパパはプールサイドでカメラマンである。まあ、何かが起きればこいつも飛び込んでくれるだろう。
 啓樹には浮き輪をあてがい、瑛汰は腕につける浮き輪をつけさせた。水泳教室で使っているものだ。これだけで、瑛汰は水に浮く。
 何があっても即座に対応できるよう、2人を出来るだけ近いところで泳がせた。やがて瑛汰は腕の浮き輪を外したがった。外した。私は瑛汰に付きっきりである。慣れると、瑛汰を放り投げる。ブクブクと沈んで自力で何とか水面まで顔を出す。出したらすぐに抱き上げるのだが、抱き上げると、もう一度投げろとせがむ。
 いやはや、末恐ろしい2歳である。ちなみに啓樹は浮き輪に掴まりっぱなしであった。従兄弟同士でも性格は違うものである。
 5時、プールを出る。帰宅途中、アイスクリームを2個買って4人で舐める。

 15日は近くのイトーヨーカ堂で「ゴオンジャー」ショーがあった。いま啓樹が最も入れ込んでいるスーパーヒーローたちである。午前11時から店内パレード、午後1時から屋上駐車場でショーというスケジュールだ。
 11時前に店に入った。さて、ゴオンジャーはどこから現れるのか? 彼らの秘密基地を探そうと店内を歩き回った。靴屋の前に子ども連れの人だかりが出来ていた。どうやらゴオンジャーの秘密基地は靴屋の奥にあり、ここから店内に登場するらしい。最近はスーパーヒーローも金回りが悪いのか?
 やがて場内整理員が現れ、人だかりを一列に並べ始めた。

 「ゴオンジャーはここを左に折れて通路を歩きます。一列に並んでください。並んでいること度も立ちにはゴオンジャーが握手をします」

 並んだ。やがてゴオンジャーが現れた。啓樹の目が輝く。目の前にやってきて手を差し出した。あれほど憧れているゴオンジャーが目の前にいて、握手をしようと手を差し出している。力一杯手を握るのかと思っていたが、啓樹はおずおずと手を伸ばした。顔は、どちらかというと下向きだ。
 啓樹、かなりの恥ずかしがり屋らしい。
 それでも、ゴオンジャーが通り過ぎると、再び列の最後尾まで走って並び直した。もう一度握手をするためである。恥ずかしいが、やりたいことはやる。それが啓樹か。
 私はカメラマンに徹した。カメラに付いたモニターの写真を見ながら啓樹がいった。

 「ボス、プリントアウトするんだよ」

 はいはい分かりました!
 ここまでは、どちらかというと楽な作業である。何せ、店内は冷房が効いている。
 パレードが終わり、我々はショーが開かれる屋上駐車場を視察にいった。そのとたん、午後の難行苦行を思った。
 屋上駐車場である。屋根がない。真夏の太陽が遠慮会釈なく照りつける。この日の最高気温は34〜35℃。コンクリートの照り返しが激しいこの駐車場では40℃を超しているのではないか? ここで、ショーを見る? そんな……。
 が、ここまで来てしまった。いまさら撤退はあり得ない。近くの喫茶店で軽く昼食を済ませ、正午を30分ほど過ぎたころ我々は再び屋上駐車場に戻った。驚いたことに、もう最前列は満席だ。我々はほぼ真ん中の3列目に陣取った。
 真上にある太陽がジリジリと肌を焼く。とにかく暑い。おいおい、こんな所に子どもを縛り付けておいていいのかよ。熱中症になったらどうするんだ? そう思いついて、水を買いに走った。屋上に戻るとまず啓樹に水を飲ませ、ついでに頭から水をかける。乾いたらまたかける。
 午後1時過ぎ、やっとショーが始まった。啓樹はもう、ショーに釘付けだ。私はショーなどに関心はない。啓樹と長女と私の健康を守ることが最大の関心事である。再び啓樹に水をかける。
 にしても、だ。40℃を超そうという暑さの中で、あのコスチュームをつけて正義と悪の闘いのアクションを演じるこの人たち、実にご苦労さまである。あのコスチュームの中では汗が噴き出しているのであろう。このあと3時からもう一回ショーをやるという。ホントにご苦労様なことだ。
 ほぼ1日拘束されて、炎天下の屋上駐車場で2度もショーをやって、この人たち、今日の日当はいくらなのだろう? 出演料、いくら貰ってるのかね?
 心からご苦労様といいたい。 
 にしても、だ。こんな時期にこんな所に子どもたちを集める企画をしたイトーヨーカ堂さん、子どもが熱中症でバタバタ倒れたらどうするつもりだったんだろう?
 
 川崎のさいか屋に買い物に行ったのは16日だった。17日に長男夫妻が夕食を食べに来る。その食材の仕込みである。
 が、啓樹と瑛汰にとっては退屈な時間だ。それでは可哀想だから、妻と長女が買い物をする間、私と次女で2人を川崎ルフロンの9階まで連れて行った。ボーネルンドが最近オープンさせた室内プレイランドにたどり着くと、野獣2匹を解き放った。

 「瑛汰、おいで!」

 「えいじゅ! えいじゅ!」
(瑛汰はまだ啓樹とは発音できない)

 野獣2匹が呼び交わしながら、屋内狭しと走り回る。私は大股で2人の後を追う……。
 まあ、2人は楽しんだはずである。

 20日(21日だったかも)はお台場の日本科学未来館で開催されている「世界最大の翼竜展」だった。こいつは期待はずれ。化石と模型とCG映像では、2歳児、3.5歳児の関心を引くことは出来ない。ついでに、私もあまり楽しくなかった。
 お台場で昼食。瑛汰、ピザを4切れとスパゲティ3分の1を平らげる。2歳にしてすでに大食漢である。

 23日は午前中、トレッサ横浜である。折り紙飛行機づくりのワークショップに参加しようとの魂胆である。啓樹は啓樹のパパに任せる。私は瑛汰の付き添いだ。長女と次女はウインドウショッピング。
 参加費500円は安かった。巨大な紙を渡され、これで全長72cmのスペースシャトルを作るのだという。胴体部分がちゃんと膨らんでおり、しかも投ずればちゃんと飛ぶ巨大な折り紙飛行機である。
 よくもまあ、これだけ複雑な折り方を考えついたものだ、というスペースシャトルは、さすがに啓樹、瑛汰の手には余った。最初は何とか手伝おうとしていた2人だが、途中で断念したらしく、2人の遊びに興じ始めた。ここでも
 うるさいロックンロール
 である。それほど広くない作業室に、2人の

 「うるさい! うるさい!」

 の声が響き渡った……。
 何とか折りあげたスペースシャトルは巨大だった。それが飛ばせば実に優雅に飛ぶのである。ちょっとばかり、折り紙飛行機にはまりかけた。

 23日夜は啓樹最大のイベントだった。親子3人でサザンオールスターズ「真夏の大感謝祭」30周年記念ライブである。小雨の中、新横浜までこの3人を送った。彼らは、妻が昼過ぎから時間をかけて作った弁当を持参した。大渋滞で、いつもなら1時間ほどで往復できるのに、3時間近くかかった。
 このような至れり尽くせりの貢献に、対価がまったくないのはいつものことである。
 9時半を過ぎ、眠気を顔いっぱいに漲らせて帰ってきた啓樹は、
 見せ場のギター
 が格好良かったのだそうだ。
 そのままおにぎりを1個食べ、ぐずりながら風呂をつかってすぐに寝た。だから、見せ場のギターとはどういうものかは、いまだにはっきりしない。

 こうして次女一家は昨日の朝、新横浜から去っていった。新横浜までお送りしたのはいうまでもない。
 この間、我が家ではかなりの被害が出た。
 パソコンに接続しているDVDドライブのトレーの蓋が、2人のちびっ子ギャングの手によって取り外された。ギョッとして調べると、中にあって蓋を閉めるバネが伸びている。とりあえず修理はしたが、蓋がちゃんと閉まらない状態は現在も継続中である。
 パソコンに接続しているヘッドフォンから音が出なくなった。おかしいな、と引っ張ってみたらコードが食いちぎられていた。啓樹なのか、瑛汰なのか……。これは修理不可能。仕方なく買い換えた。

 昼過ぎに電話が来た。3人が乗ったのぞみが名古屋駅に着く3分ほど前、便秘気味だった啓樹が

 「うんち」

 といった。望みのトイレでさせていては、京都まで行ってしまいかねない。我慢しろと励ましつつ、ホーム到着と同時にパパが啓樹を抱えてトイレ目掛けてダッシュしたそうだが、果たして間に合ったのかどうか。

 昨夜はWOWOWがサザンオールスターズ「真夏の大感謝祭」30周年記念ライブの最終日を中継した。録画しつつ眺めた。見せ場のギター、はやっぱり確認できなかった。中継終了ご、直ちにDVDにダビングした。こうして、私の夏は終わった。
 次に啓樹にあったら、このDVDを見ながら、見せ場のギターを確認しようと思う。

 という次第で我が夏休みは終わり、今日を迎えた。今日は、我がアメリカ旅行最終回を書かねばならない日である。でないと、日誌の上では夏が終わらない。嫌いな夏はあらゆる所で終わってもらわねばならない。


 ロサンゼルスでの全日程を終えた私たちは、ハワイに向かった。今回の旅行の最終目的地である。なのに。
 ハワイにはまとまった記憶がない。恐らく、たいしたイベントが組まれていなかったためであろう。以下、私の記憶に残るハワイを点描する。

 宿はアメリカ海兵隊の宿舎だった。いまほどではないにせよ、当時でもハワイは観光地だ。ホテルなどの宿泊施設がなかったはずはない。なのに、どうして海兵隊の宿舎なのか?
 恐らく、予算の関係である。我々10人の移動と飲食でかなりの額を使ったことは間違いない。YMCAを利用したり、ホームステイをやってみたりと工夫はしたものの、ハワイのホテル代までは捻出できなかったのに違いない。
 だが、おかげで貴重な体験をした。海兵隊の宿舎なんて、アメリカ海軍の軍人にならねば宿泊できない施設である。そこに、民間人で、しかもまだ15歳の私が泊まる。極めて貴重な体験ではないか。
 私が、ルーマニアの迎賓館を宿舎にしたことは、旅らかすの「中欧編 IV : 迎賓館」「中欧編V : トイレットペーパー」でご報告した。私は、普通では宿泊できない設備に縁があるらしい。
 玉突き台があった。この海兵隊員用の宿舎ではビリヤードが出来る。
 無論、兵隊さんは戦闘用ロボットではない。生身の人間である。生身の人間とは息抜きも必要とする生き物だ。だけど、息抜きにビリヤード……。
 初めて見た玉突き台は強烈なメッセージを届けてくれた。アメリカは、豊かな国なのである。
 にしても、だ。日本の自衛隊員の宿舎には、どんな息抜き用具が揃えてあるのだろう? ひょっとしたら、隊員が持ち込んだ麻雀や花札程度? それとも最近は、マッサージチェアなんかが揃えてあるんだろうか?

 よせばいいのに私は、あてがわれた自分の部屋で靴を磨こうと思い立った。相当にほこりっぽかったからである。あるいは、宿舎で会った兵隊さんたちの靴があまりにもピカピカ光っていたので、俺の靴も光らせていやれと、無意味な競争意識をかき立てられたのかも知れない。
 布で軽く汚れを払ったあと、歯ブラシにつけた靴墨を靴に塗る。それが靴磨きの手順である。手順通りに進めば何の問題も起きないのだが、事故とは予期せぬ時に起きる。
 歯ブラシに媒介されて靴に移るはずの靴墨が、その途中で心変わりをした。目的地を私の靴から、海兵隊宿舎のリノリウムの床に変更したのである。靴墨が、まるで自分の意志を持ったかのように、ポタリと床に落ちた
 やばい! ここは兵隊さんたちの巣窟である。それを汚してしまう。見つかったらただでは済まないぞ! ひょっとしたら銃殺?
 靴を磨こうと手に持っていた布でリノリウムの床をこすった。落ちた靴墨をぬぐい取ろうとの作戦である。おおむねはうまく行った。落ちた靴墨の大半はぬぐい取れた。ところが、だ。靴墨の一部に不心得者がいた。そいつらは、見目麗しき女性とのファーストコンタクトで恋に落ちた男のように、初めて出会ったリノリウムの床に恋してしまった。拭っても拭っても取れないのである。おまけに、必死にの形相で格闘する私をあざ笑うかの如く、横に広がってしまって……。
 私は悟った。惹かれ合う者をたちを無理に引き離してはならない。周りに反対されればされるほど燃え上がるのが恋心なのである。2人を引き離すには、傍観するに越したことはない。
 私は大人になった。なって傍観を決め込んだ。そそくさと靴磨きセットをしまい込むと、そ知らぬ顔をして部屋を出た。もちろん。惹かれ合う2人の中を誰かに告げ口することもなかった。
 いまだから告白しよう。あの部屋を靴墨で汚してしまったのは私です。ごめんなさい、アメリカ海兵隊の方々! もう時効ですよね?

 なにせハワイである。ワイキキビーチで水遊びもした。弾けもしないウクレレを抱える蘇我君の横で、アロハを着た私がにこやかに微笑んでいる写真が残っているから、私の妄想ではない。ダイヤモンドヘッドも見たはずなのに、ダイヤモンドヘッドを知ったのは、帰国したあとでベンチャーズというエレキバンドの曲を聴いてからである。
 だから、このあたりにはたいした思い出はない。

 ハワイは主要な8つの島を中心に100以上の島が集まっている。ワイキキビーチもダイヤモンドヘッドもオアフ島にある。我が宿舎もオアフ島であった。
 拠点とするオアフ島からどこかの島に観光に出た。ハワイ島であったと記憶するが、定かではない。そこにハワイの先住民の文化をしのばせる観光施設があった。舞台があり、フラダンスを中心とした民族舞踏、音楽のショーがある。先住民の住居をもした建物があり、そこで食事が出来る。
 我々はそこで、夕食を摂った。

 建物に四方の壁はない。吹き抜けである。植物で屋根が張ってあったから、雨だけはしのげる建物だ。椅子もテーブルもない。床に座って食事をする。そして、出てきたのはハワイの伝統的な食べ物であった。
 生まれが貧しかったからであろうか。私はほとんど好き嫌いがない。出てきたものをいただく。出てきたものを残すなどというもったいないことはしない。食べ物を粗末に扱うのは犯罪である。
 伝統的な食事に食器はなかった。木の葉や

 

 

(注)
ここまで書いて、25日は時間切れとなった。悪い先輩が誘い出しに来たのである。
「安堂君、まだ仕事するの?」
断り切れない私は、5時半に会社をあとにして夜の巷に消えた。
というわけで、以下は26日に書いたものである。

 

 最後の文章が中途半端に終わっている。そのままでは続けることが出来ないので一部再掲する。

 伝統的な食事に食器はなかった。木の葉や縦に割った竹(だったと記憶する)に盛られた食べ物らしきものが目の前に並んだ。
 まあいい。我ら日本人の先祖も、似たようなもので食事をしていたに違いないのだ。器を問うのは一部の文化おたくに任せればいい。
 と考えて、目の前のものを口に運んだ。
 ?!
 何、これ?
 青臭い。こんなもの、食べたことがない。いや、ほとんど好き嫌いがなく、もったいないという言葉の信望者である上、正常な15歳の空腹感を感じている私でも、こんなもの、食べられるとは思えない!
 いやいや、ハワイで生命をつないできた人々は、このようなものを食べ続けてこられたのである。食べられないことがあろうか。それに、我が胃袋は一刻も早く食料を送り込めと悲鳴を上げているではないか。口に運ぶのだ! 食べろ!!
 2口、3口、目の前にあるあれこれを口に運んだ。そして、上下の歯で咀嚼する。嚥下を試みる……。

 「おい、ポップコーン食べに行かない?」

 隣に座っていた岡田君に小さな声で話しかけた。

 「ポップコーン? 安堂君、どうしたの?」

 「いや、何度か試してみたんだけど、これ、どうしても食べられなくて。それにお腹も空いているし」
 
 「安堂君もそうだったの? 実はぼくもなんだ。うん、行こう」


 こうして我々2人は席を離れ、施設内を食べ物を求めて彷徨った。アイスクリームが見つかった。ポップコーンも売っていた。

 「あれ、買おうよ」

 我々はポップコーンの入った大きな袋とカップ入りのアイスクリームを抱えてその店を離れた。これが今日の夕食である。
 アイスクリームは滑らかでほっぺが落ちるほど美味しかった。当時の日本製アイスクリームより、はるかに乳脂肪分が高かった。
 ポップコーンは? こちらは普通の味だった。

 こうして私の15歳におけるアメリカの旅は終わりに近付いた。そして今年の夏も終わりに近付いている。
 あまり面白いこともない旅にお付き合い頂いたことを感謝する。

 今年の「続シリーズ夏」は今回で終了します。

 

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