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 2008年10月31日 私と暮らした車たち・その5 フォルクスワーゲンビートルの1

 私がフォルクスワーゲンビートルに出会った経緯、別れた事情はすでに「旅らかす 中欧編 III : なぜか、ワーゲン」で書いた。愛読してくださっている方々には既知のことである。
 だが、私のカーライフを語る上で、フォルクスワーゲンビートルは欠かせない。歴史上の事実を書くのだから、話の根幹は同じである。一部ダブってしまうことになるのを、前もってお断りしておく。

 それは、三重県津市での3年半に及ぶ勤務を終え、岐阜市に転勤して間もなくのことだった。仕事で、ある人の自宅を訪れた。昼間、事務所で、と面会を申し入れたのだが、

 「夜、自宅に来てもらった方がいい」

 と逆提案されたためだ。面会をお願いしたのは私である。相手の条件は無条件に受け入れなければ仕事が前に進まない。私はトヨタ カリーナ1600STハードトップで彼の自宅を訪ねた。彼とは初対面である。

 仕事の打ち合わせは1時間ほどで無事終わった。が、仕事が済んだからといってそそくさと引き上げるのは味気ないものだ。

 「私はジャズが好きでしてねえ。安堂さんはいかがですか?」

 そんなところから雑談が始まった。雑談なら得意である。それに、ジャズは大好きだ。マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンの定番から始まって、カーティス・フラー、バド・パウエル、キャノンボール・アダレイ、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット……。買い集めたレコードは、とうに100枚を越えていた。

 「いやあ、偶然ですねえ。私もジャズが好きでよく聞くんですよ。最近、日本人のピアニストが好きでしてねえ」

 「誰ですか、それ?」

 「ご存じかどうか分かりませんが、山本剛、といいまして、エロル・ガーナーばりの官能的な演奏をするんですよ」

 「えーっ、山本?」

 「ご存じですか?」

 「知ってるも何も。彼、
ここに来て私のピアノで演奏してくれたんですよ、この部屋で」

 30畳はあろうかという大きな居間だった。ここで友人を集めてジャズコンサートを開いたというのだ。なかなか華麗な人生を送っている人だった。

 「いいなー、羨ましい。私、彼の生演奏はまだ聴いたことがなくて。機会があればと思っているんですが。次にやる時は是非声をかけてくださいよ」

 こうして、2人の舌はどんどん滑らかになった。

 「ところで安堂さん、車は何に乗ってます?」

 突然話題が変わった。車? 車は外に止めてあるが……。

 「トヨタ カリーナ1600STハードトップですが、それが何か?」

 「えーっ、あなたみたいな人が、あんなつまらない車に乗っているんですか?」


 あのー、私たちは本日が初対面で、そりゃあお互い多少は舌が滑らかになったかも知れないけど、私の愛車をつかまえて「つまらない車」とは、そりゃ、あんた、言い過ぎでしょうが。なんであんたから、そんな罵倒にも近い物言いをされなきゃいけないわけ? それって、私の人格への、もの選びのセンスへの言いがかりだろうが! 不愉快だ、帰る!

 と言えるような人間であったら、私は永遠にフォルクスワーゲンビートルに出会ってはいなかった。私はいった。

 「そうですか、トヨタ カリーナ1600STハードトップはつまらない車ですか。そうおっしゃるあなたは何に乗ってるんですか?」

 彼は胸を張るようにしていった。

 「フォルクスワーゲンのビートルですよ。当然じゃないですか」

 そう聞いて、内心、この男を小馬鹿にした。ビートルなら乗ったことがある。津市にいた時、同僚の1人がオレンジ色のビートルを買ったのだ。あまりに自慢するので、頼んで1度運転させてもらったことがある。
 不思議な車だった。運転姿勢がまったく違うのである。
 トヨタ カリーナ1600STハードトップも、そのほかの国産車も、シートの座面が低い。足は投げ出すように前に出し、背もたれは倒して半ば寝そべったような形でハンドルを握る。
 ところが、ビートルの背もたれはほぼ垂直に立っている。シートの座面が高く、足はほぼ垂直に床を踏みしめる。アルバイトで1年間乗ったトラックの運転席に座っているような姿勢をとらされるのである。

 「何か座りにくいな」

 と背もたれを後ろに倒そうとしたら同僚が言った。

 「あーっ、ダメダメ。この車はその姿勢で運転するんだよ」

 10分ほど運転したら嫌になった。乗り慣れた車とは違う運転姿勢を長時間続けさせられるのは苦痛である。

 あのフォルクスワーゲンに乗るのが当然? こいつ、どこかおかしいのではないか?

 「いや、フォルクスワーゲンには1度乗ったことがありますが、アップライトに座ることを強制されて乗りにくかったんだけど。あれ、そんなにいい車ですか?」

 「確かに、国産車に慣れていれば、最初はそうかも知れません。でも、1週間もすればワーゲンの座り方に慣れますから」

 「別に、慣れたいとは思わないんですが。でも、なんであんな不自由な座り方をさせるんですかねえ」


 「あれが、一番疲れにくい座り方だからです。長距離トラックの運転席はアップライトに座るようになっているでしょ? 同じ理由です。長距離運転して疲れない座り方なら、近距離を乗る場合も疲れない。これ、当然ですよね?」

 私はインテリである。周りが認めようが認めまいが、私はそう宣言することに何のためらいも感じない。
 インテリの条件は何か。物事を論理的に考えることである。考えた結果を論理的に表現することである。
 だから、インテリは論理に弱い。 常に論理的な説明を求めるから、論理的に説得されるとついついその気になる。
 この時もそうだった。
 ん? こいつの言ってること、筋が通ってる。ひょっとしたら正しいのか? と思い始めたのである。
 
 「先日もね、甥っ子、姉の子どもなんですが、そいつが東京に行く、っていうから、私のビートルで送っていってやりました。ええ、日帰りです。東京まで往復してもちっとも疲れない。それがビートルなんです」

 「お姉さんの家には車はないんですか?」

 「あるんだけど、亭主が愚物でねえ。マークll なんかに乗ってるから、1日で東京まで往復するのは無理なんですよ。だから僕が送ったんだけどね」


 そうか、
マークll に乗るのは愚物か。だとしたら車格がずっとしたのカリーナ1600STハードトップなんかに乗ってる私は何だ? 愚か者より悪いんだから、ああ、これはアホか?

 「そんなに違うものですか?」

 「まったく違います。そもそも、フォルクスワーゲンには、車とはこうあるべきだという哲学があるのです。トヨタの車に哲学が感じられますか?」


 いや、何もそこまでトヨタさんの悪口を言わなくても、ねえ……。

 「車とは、A地点からB地点まで人や荷物を運ぶものです。その点ではワーゲンもトヨタも同じです。でも、トヨタはそれでいいと考えた。一方のワーゲンはそこから先を徹底的に考えた。車はどうあらねばならないのかをギリギリまで突き詰めたんです。シートはどうあらねばならないか、ドライバーにはどんな運転姿勢をとらせたらいいのか、足回りはどうする、ボディ構造は何が最適か。だからと1日で東京まで往復しても疲れない車ができたのです」

 論理的な説得にからきし弱い私は、このあたりまで来るとすっかりワーゲン党に入党しなけれならないと思い定めてしまった。問題は1つだけである。

 「だけど、輸入車って高いでしょ?」

 手回しのいい人である。すべての質問に答えが用意してあった。

 「何も新車を買う必要はありません。国産車のようにヤワじゃないから、中古車で充分です。私がいつも整備を頼んでいる整備工場があります。ワーゲンを扱っている販売店で車の整備をしていて独立したヤツですからしっかりしてます。彼なら、いい中古車を捜してくれますよ。なんなら、彼に話しておきましょうか?」

 こうして私は、岐阜市の隣、岐南町にある整備工場に出かけた。待っていたのは、「旅らかす 中欧編 III : なぜか、ワーゲン」で書いたように、6年落ち、走行距離6万kmのフォルクスワーゲン1302Sだった。色は濃紺、価格は95万円である。
 えーっ、6年落ちで95万円? 法外な価格に思えた。だが、当時の私は車の価格についての相場観はない。そもそも新車がいくらで売られていて、6年間でどの程度値落ちするものなのか、という知識は皆無であった。これを買うしかなかった。

 こうして、安堂家開闢以来のカーオーナーになってわずか3年半。私はいまや、舶来車を所有する身分になったのである。

 

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