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 2008年3月4日 私と暮らした車たち・その11 ゴルフの4

 北海道で最高の季節は、ライラックの花が咲く初夏だとよくいう。確かに、梅雨がなく、空気がサラリと乾燥した北海道の夏は気持ちがいい。夏嫌いの私でも、北海道の夏は大好きである。
 だが、札幌に2年住んだ経験からすると、北海道は冬である。北海道の冬を知らずして北海道をしゃぶり尽くすことはできない。

 生まれて初めて北海道の大地を踏んだ私が、最高の季節に備えて家族全員のスキー用品を買いそろえたことは、「グルメらかす 第12回 :札幌ラーメン」に書いた。
 冬の入り口に立って、我が黄色いゴルフのためにスタッドレスタイヤをかったこともそこに書いてある。
 今日の話は、そのあたりから始まる。

 初雪が降り、やがて野山が真っ白になった。待ちに待ったスキーシーズンだ!

 と喜んだ結果は、スキーらかす「スキー入門 1:リフトはどこに消える」「スキー入門 2 : 第2の悲劇!序章」「スキー入門 3 : ファミリーゲレンデ」「スキー入門 4 : 激突」という結果になった。いま読み返すと赤面したくなるほど拙い文章だが(いまでもあまり変わりないかも知れないが)、まだお読みでない方はご一読頂きたい。

 だが、「スキーらかす」は始まりに過ぎなかった。
 やがて、小学生だった長男、長女は学校の授業でスキーに慣れ親しんだ。私も、ボーゲンができるようになるとスキーの魅力の虜になった。ゲレンデを滑り降りる時耳元でゴーゴーと響く風の音に魅せられた。

 休みのたびにスキー場に出かけた。5歳だった次女も一緒である。子どもは覚えるのが早い。間もなく次女も、曲がりくねった坂道をボーゲンで滑り降りるようになった。とうとう何もできなかったのは、我が妻のみである。
 その次女に降りかかった悲劇、そこからの立ち直りは「グルメらかす 第13回 :グルメ開眼 」にある通りだ。

 とにかく、黄色いゴルフにスキー道具を積み込んで、せっせとスキー場に通った。なにせディーゼルエンジンだ。燃料費の心配はガソリンに比べて遙かに少ない。
 子どもたちがスキーになじんだ2シーズン目は、もっぱらニセコに出かけた。近くの藻岩山スキー場や札幌国際スキー場では満足できなくなっていた。わずか1年で、我がファミリーのスキーの腕前、いや足前は「ながあし」の進歩を遂げていた。

 札幌からニセコまで約2時間。途中、標高831mの中山峠を越える。登りも下りも急な坂が続く、雪の季節には恐ろしい難所である。
 その難所を、我が黄色いゴルフは スタッドレスの足にもかかわらず、難なく行き来した。降りしきる雪がラジエターグリルにへばりつき、水温が上昇したこともある。それでも降りて雪を取り除いてやれば何事もなかったかのように走り出す。ゴルフは、実に頼りになる遊びの足だった。
 最初はおっかなびっくりハンドルを握っていた私も、雪道、凍結路面での運転にすっかり慣れた。

 「雪? 凍結? それがどうしたの?」

 てなものである。謝国権の「性生活の知恵」を読むより、奈良林祥の「How to Sex」を見るより、まずやってみた方が速い。何事も、習うより慣れた方がいい。


 2回目の冬の午後だった。十勝支庁の池田町まで行く仕事ができた。相手と電話で連絡を取り、翌日午前10時に逢う約束をした。時計の針は午後3時を過ぎていた。
 今日のうちに帯広に行って一泊するしかない。さて、何時の汽車に乗ろう。時刻表を見た。なかった。なかったのは時刻表ではない。その日の帯広行き最終列車はすでに札幌駅を出ていたのである。

 困った。明日の約束は何としても実行しなければ仕事に支障が出る。だが、汽車がない。では、マイカーで、というのは無謀である。真冬の北海道なのだ。それも、間もなく日が暮れる時間である。路面はパンパンに凍り付く。

 それでも平坦な道であればいい。なにしろ、スタッドレスを履いた我が黄色いゴルフは、北海道の凍てついた大地を走り回る実績を十分積んだ。夜間の走行実績も十分である。
 だが、札幌から帯広に行くには、日高峠を越える。いや峠も、毎週末のニセコ通いで中山峠を何度も越えている。
 問題は間もなく日が暮れることだ。夜になる。気温は急速に下がり、峠の路面は早朝のスケートリンクのようにツルツルになる。スタッドレスタイヤで、夜の峠を越える?
 
 私は命が惜しい。できれば天寿を全うしたい。畳の上で死にたい。危険と隣り合わせの仕事なんてまっぴらごめんである。

 ではどうする? 仕事なんてどうでもいい、って放り出す?
 正常な判断力を持ついまならそうする。仕事の都合より自分の都合を優先させる。1つしかないこの命だ。当然である。
 
 とは、真面目な、いや若さ=バカさ、の当時の私は考えなかった。何と、どうあっても今日中に帯広にたどり着かねば、と思い詰めてしまったのである。
 若いと物事の理屈が見えない。まったく恐ろしいことである。

 私は、それしかないではないか、と考えた。すぐに自宅にとって返し、出張の準備をすると、黄色いゴルフに乗り込んだ。もう午後4時を過ぎ、あたりは薄暗くなっていた。スタッドレスタイヤをはいた黄色いゴルフで、夜の日高峠を越えようというのである。

 日高峠に差し掛かったのは5時半頃だった。車はほとんど走っていない。こんな恐ろしい道を好きこのんで走るヤツはバカである。北海道はそれほどバカの産地ではないと見える。
 我が黄色いゴルフは安全を旨とする。凍結路面の走行は時速50km前後を上限とする。我が身を守るためである。
 真っ暗な峠の道を、ディーゼルエンジンの音を響かせて、我が黄色いゴルフが疾駆する。時折、長距離のトラックの前照灯がバックミラーに映る。映ったと見るや、たちまち近付いてくる。あのトラックの時速は60kmか、はたまた70kmか。命知らずめ。そういえば、千歳空港から乗るタクシーは、雪で埋まった高速道路を100km近い速度で走っていたなあ。バカは少ない北海道も、命知らずだけはたくさんいるらしい。

 死にたくない私は左に寄り、道を譲る。トラックはたちまち我が黄色いゴルフを追い越し、雪煙を上げながら走り去る。
 そうか、あの程度の速度で走っても大丈夫なんだ。速度違反常習者の心がにわかに沸き立つ。

 「トラックがあの速度で走れるのなら、我が黄色いゴルフだって走れるんではないかい?」

 アクセルを煽る。トラックの後に付く。

 「待てッ!」

 すぐに警報が響き渡った。

 「あいつ、スパイクタイヤを履いている! こちらはスタッドレスタイヤだ。同じ速度で走ってはやばい!」

 アクセルを戻して速度を50kmに落とした。トラックはたちまち見えなくなった。もう、前にも後ろにも車の姿は見えない。もちろん、人の姿なんて見えるはずがない。

 「ここでエンストなんかしたらどうなる? 朝まで車1台通らず、明日になって車内で凍死した俺が発見されたり、ってのもありだなぁ」

 「雪の吹きだまりができて身動きが取れなくなったら? エンジンをかけてると排ガスで中毒死するというし、エンジンを止めたら凍死が待っているだろうし」

 頭は常に悪い方、悪い方へと向かう。怖いのである。ゴーッと音をたてて風が吹くとビクッとする。肝っ玉が縮み上がる。冷や汗が流れる……。
 速く峠を抜けたい。でもゆっくり走らねばならぬ。並び立たぬ2つの命題の間に立たされた私は、必死の思いで黄色いゴルフのハンドをるを握り続けた。

 結論を急ぐ。
 我が黄色いゴルフは健気であった。
 真冬の北海道の峠。
 夜。
 スタッドレスタイヤ。
 我が黄色いゴルフは三重苦のもとでの戦いを強いられた。にもかかわらず、スリップ1つせず、無事帯広の街に走り込んだのである。私は、遠いドイツで設計され製造されたこの車に、尊敬の思いを禁じ得なかった。ありがとう、ゴルフ!
 翌日、我が黄色いゴルフがまで快調に走り、私の仕事が無事終わったのはいうまでもない。

 いや、ひょっとしたらカローラでもサニーでも健気に走ったのかも知れない。だが、我が頭脳には、

 「黄色いゴルフでなくては、とてもじゃないが」

 という図式が完璧にこびりついている。私とゴルフの蜜月は、相変わらず継続中だったのである。


 同じ道を帰るのは無粋というものだ。そこで、戻りは狩勝峠を抜けて富良野に抜ける道を選んだ。峠越えは昼間である。ハンドルを握る緊張感は前夜に比すべくもない。鼻歌でも出てきそうな気楽なドライブだった。音楽でも聴こうとカセットテープを取り出した。相変わらずチェッカーズだった。ま、いいか。

 異変が起きたのは富良野を抜け、国道12号線に出てからである。

 話を少し脱線させる。すぐに元に戻すのでしばらくお付き合い願いたい。
 関東のドライバーは雪道の運転が極めて下手である。ほんの少し雪が降ると、道路は大渋滞をきたす。もう少し降ると、坂道や橋の上に乗り捨てられた車が登場し、大々渋滞となる。そこまでは何とかたどり着いたものの、とうとうタイヤがスリップして進めなくなり、無責任なドライバーが放棄したのだ。それがあとから来る車の通行を妨げる。
 関東のドライバー、ろくなもんじゃない。

 雪道、凍結路で避けなければならないのは「急」である。急発進、急ハンドル、急ブレーキ。どれも直ちに事故につながる。
 発進。アクセルは踏んでいるのかどうか分からないぐらい軽く踏む。時速1kmで動かす感じだ。踏みすぎると駆動輪が回転しすぎ、スリップする。一度スリップすると、車輪の回転でツルツルになった雪面は摩擦係数が低下してさらに発進しにくくなる。
 東京の連中は、アクセルのふかしすぎである。
 急ハンドル、急ブレーキにつていは、論ずる必要を認めない。乾いた路面でも危険なのである。摩擦係数が遙かに低い雪道、凍結路面で何が起きるかは、正常な頭脳さえあればたやすく想像できるはずである。
 北海道の冬を走り抜けた私がいうことだ。間違いはない。

 話を元に戻す。
 とっさになると、頭脳は正常の範囲を逸脱するものである。

 私は国道12号線の中央寄り車線を走っていた。すでに日は暮れ、辺りは暗い。路面は凍結しているようである。車の姿はほとんどない。
 速度は前を行く車に合わせていた。60km〜70kmは出ていただろうか。車間距離は100m以上とっていた。安全のためである。

 「あれっ?」

 と思った。前を行く車のブレーキランプが点灯したのである。
 不思議なことをする。前を行く車の前には、車の姿はない。

 「何でブレーキを踏む必要があるんだ?」

 訳が分からない他人の行動に接すると、判断力は瞬時麻痺する。麻痺した判断力はろくな行動を呼び起こさない。

 次の瞬間だった。ブレーキランプを光らせた前の車が、突然右のウインカーランプを出したのだ。

 「えっ、お前、右に曲がるの!?」

 多分、私はパニックを起こしたのだと思う。次の瞬間、ブレーキを踏みつけてしまったのだ。凍結路面での急ブレーキは絶対に避けなければならない、との知識はあった。だが、麻痺した判断力は、北海道の冬を走って身につけた知識より、雪のない場所で長年走って身につけた知識を優先させた。我が右足にブレーキを踏むことを命じてしまったのである。

 ブレーキを踏みつければ、タイヤの回転は止まる。我が黄色いゴルフのスタッドレスタイヤは回転を止め、慣性力に従って摩擦係数が甚だしく低下した凍結路面を滑り始めた。こうなると、ハンドルでのコントロールは効かない。物理学の法則に従って運動を続けるだけである。

 瞬間、スピンを覚悟した。我が黄色いビートルがドライバーのコントロール下から離れ、自由に動き回る。クルクルと回転した車体がガードレールにぶつかる。グシャリという音とともに車体が大破し、運転席にいる私は体を引き裂かれ、折れ曲がった車体にサンドイッチにされる……。それは困る。家には幼い子が3人もいるのだ。まだ死ぬわけにはいかない……
 パニックが目の前にあった。

 いまでも、あの時私を助けたのは、我が黄色いゴルフだったと信じている。
 ハンドルの制御を失った我が黄色いゴルフはタイヤの回転が止まっていた。ブレーキを踏んだからである。だが、スピンしなかった。スキーの直滑降のようにまっすぐに滑ったのである。

 おかげで、私は気を取り直した。タイヤはロックさせていけない。回転させなければ、路面との摩擦は確保できない。そんな知識がよみがえった。
 まず、ブレーキから右足を離した。見る見る前の車が近づいてくる。それを見ながら、断続的に軽くブレーキを踏んだ。我が黄色いゴルフは、断続的にスリップしながらも、徐々に速度を落とした。ハンドルを切って左に出て前の車を避けても大丈夫な速度まで落ちた時、前の車は右折して消えた。
 緊張が解けた。

 私はいまでも、黄色いゴルフを命の恩人だと思っている。まっすぐに滑ってくれたからである。まっすぐ滑るとは、車体の重量バランスが絶妙によろしいのに違いない。
 気を取り直してポンピングブレーキができたのはそのおかげである。あのときスピンしていたら、いまの私はいない。
 黄色いゴルフは、私の素敵なパートナーであった。

 素敵なパートナーには、いつまでも若くいて欲しい。いつまでも私に喜びを与えて欲しい。だが、それが叶わぬ願いというのが世の習いである。誰もが老い、誰もがやがてリタイヤする。
 運転する喜びを与え、健気さを見せ、私の命を救ってくれた素敵なパートナーである黄色いゴルフにも、その日が迫っていた。
 我が黄色いゴルフが、無情にも老境に入る日が迫っているとは、スピンを免れた時には思いもしなかった。

 

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