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 2010年3月4日 商売

 とは、ここまでやるものか?

 今日、1通の封書が届いた。差出人は、愛犬だった「リン」の火葬を頼んだ葬儀場である。


 春寒の候、皆様には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。

  ――確かに今日は寒かった。でも、明日の予報は20℃、春暖である。
    ま、一応元気だけど、益々元気、って訳でもないですよ。歳だもん。

 この度、左記の日程にて春季彼岸会「法要」を開催させて頂きます。

  ――そんなもん、開くのはあんたの勝手だけど、俺に何の関係が?

 諸事ご繁忙のこととは存じますが、お繰り合わせのうえ、ご来席くださいますようご案内申し上げます。

  ――いや、そんな忙しくはないっすよ。忙しいの嫌いだし。
    だから、繰り合わせなくても時間はあるって。
    でも、勝手に開いておいて、「ご来席」は案内なのね。お願いではないのね。
    でもさあ、法要を頼んでもいない俺が、どうして「案内」されなきゃいけないの?
    本当に「お願い」じゃないのね? 「案内」なのね?
    じゃあ、行くのやめよーっと。

 日時は3月22日午後1時半。費用、じゃなかった、法要料は3000円也

 まあ、葬儀場もペットビジネスの一環である。ビジネスである以上、金になりそうなことにはとことん手を出すのは鉄則である。その根性には頭が下がる。
 だけど、これで3000円を持参して法要に列席する元飼い主がいるの? 
 いや、いるんだろうなあ。だって、郵送料やパンフレットの印刷費用など、コストをかけて案内を送ってくるほどだから。

 しかも、列席が10組、なんてことはあり得ない。だって、10組だったら収入は3万円。当日の人件費、坊さんへの支払い(多分、来るでしょう)、飾り付けのコスト、様々な出費を考えれば3万円では赤字必至だ。そんなこと、ビジネスとして手がけるはずがない。
 となると、少なくとも20組、普通に考えれば30組以上が行くのか……。

 日本は究極の平和惚け国家に成り果てた!

 死者のための祭事は、実はすべて生きているもののための執り行われる。葬式も法要も、死者を悼むための行事ではない。生き残りが、使者の死を活用して行う政治であり、手間、暇、金をかけて死者を弔ったという自己満足を得るための儀式である。
 ま、そんなことでもなければめったに顔を合わせることもなくなった親戚・知人が 酒を酌み交わす希な機会でもあるが。
 そうそう、坊さんたちの収入源でもある。死者に絡む祭事がなくなったら、あの人たち、どうやってご飯を食べていくのだろう?

 私は子供たちに、葬式不要、と宣言してある。戒名も不要、仏壇不要。そんな気があるのなら、写真を額に入れて飾ってくれ。それ以上のものは何もいらない。
 死者は、死者を記憶する人々の中で生きていく。記憶を呼び覚ますのは、葬式でも法要でも仏壇でも戒名でもない。一葉の写真があれば充分である。

 と考える私の、左記の手紙に対する返事?
 書くまでもないことだが、

 「不参加」

 である。
 そのようなことをしなくても、まだ「リン」は、私と、私の家族の中で生きている。
 「リン」、それでいいよな。

 

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