●日誌一覧

シネマらかす

グルメらかす

音らかす

旅らかす

スキーらかす

事件らかす

 2011年10月24日 増税

 復興増税に決定的な影響力を持っているのは公明党なのだそうだ。
 いわれてみれば、参議院で公明党が民主党の増税法案に賛成すれば、法案は成立する。それを意識してのことであろう、公明党は民主党の増税案を飲む様相だ。タバコ増税に賛成したなんてのは、その現れである。

 危険である。

 と考えるのは、 私が復興増税に反対しているからではない。国の政策を決めるにのに、公明党の意向を伺わなければならない構造自体が危険なのである。何故か。

 公明党とは、宗教団体である創価学会の政治部に過ぎない。800万人とも900万人ともいわれる創価学会信者の票で当選した公明党議員の役割は、政治の場で創価学会の利益を追求することである。
 論理的に、それ以外あり得ない。

 そして、彼らは、創価学会の利益を追求することが、国民全体の利益になると信じている人たちである。創価学会、池田大作大先生の教えが究極の真理であり、その足元にひれ伏さぬ私のような輩は、まだ悟りにいたらぬ遅れた人々である、と彼らは思い込んでいる。そうでなければ、宗教など信じられるはずがない。

 私にいわせれば、自らの頭で考えることを放棄した幸せな人々である。それを、狂信者と表現する人もいる。

 いや、今日書きたいのは創価学会問題ではない。増税問題である。

 創価学会が、政治のキャスティングボートを握っているため、政権党である民主党も、政権を取り戻そうとうごめいている自民党も、詰まるところ、自分の政党だけでは衆参両院で多数を占める自信がないものだから、公明党にすり寄る。参議院で過半数を持たない民主党は、法案を通すために公明党にいい顔をし、政権を取り戻したい自民党は自分たちだけでは無理だとわきまえて公明党に気を使う。

 政治とは、所詮妥協の産物ではある。だが、公明党のために、本当は議論の場に引き出されなければならないものが、どうしても出てこない。宗教法人への課税である。

 戦後、宗教法人は非課税という特権を与えられた。戦前、国家権力が宗教にまで介入し、一方で国家神道を擁護して国民を操り、他方で権力の意に染まない宗教団体への弾圧を続けてきたことの反省にたっている、といわれる。宗教団体への課税は、課税権を通じて国家が宗教団体の奥に触れ、課税権を通じての実質的な擁護、弾圧に道を開く。その恐れをなくすために非課税とする、というのが大方の理解である。

 でも、そうかあ? って思いませんか? オウム真理教とまではいわないが、あちこちに目をむくような立派な宗教施設を作り、広告が集まらなくなった落ち目の新聞に大きな広告を出す巨大宗教団体に、

 「あんたら、何でそんなに金があるの?」

 って、多くの人が、うさんくささを感じているのではありませんか?

 国家権力の課税権が、課税される対象の国民や企業の自由をないがしろにするのなら、日本には自由な個人も法人もないことになる。だが、一定のルールに沿って課税されることに対して、それは自由の侵害だと怒りの声を上げる個人も法人もいない。

 宗教法人も同じなのでないか? 透明性のあるルールに従って課税されることで、侵害される自由は存在するのか? 自由を侵されたと声を上げるのは、何とか課税逃れをしようと悪戦苦闘する団体だけではないのか?

 無論、ほかにも考えなければならない問題点はたくさんあるだろう。だが、宗教法人への課税問題を俎上に載せない限り、そのような問題点が表に出ることもない。

 それを、公明党の存在が防いでいる、というのが現在である。政治も、企業もその問題を指摘しない。政治は創価学会政治部である公明党の存在を恐れ、企業は創価学会信者による買い控えを恐れる。
 公明党、創価学会は、かつての出版妨害事件を引き合いに出すまでもなく、現代のタブーである。

 ねえ、宗教団体への課税を始めれば、税収増は年間4兆円と書いた週刊誌もある。それほどの収入増があれば、いま議論されている所得増税、タバコ増税は不要になるはずだ。宗教団体に寄付されたお金は個人消費から削られ、景気の足を引っ張っているという指摘もある。景気の低迷は、日本経済がこの20年間抜け出せない病なのだ。

 ドジョウ首相は、この問題に関心のかけらも示さない。あ〜ぁ。


 先週の金曜日、小菊に行った。湊屋藤助を飲んだ。マグロのカマトロを食った。秋刀魚の刺身も味わった。同席した大学の先生は大変喜んでくれた。

 小菊の女将さんも喜んだ。
 遅れて駆けつけたH氏は、私を彼の自宅に拉致した。本当は、

 「『らかす』で書いたらさ、ほら、昔の女が駆けつけて来ちゃったんだ。君の家には行けないよ」

 と冷たく言い放つつもりだったのだが、

 「『らかす』を見たんだけど」

 という客は一人も現れず、ましてや、私に逢いたいと駆けつける女性は皆無であった。寂しさを噛みしめながら、H氏の自宅に拉致された。

 ウイスキーを飲んだ。あれこれ雑談を重ねるうち、

 「ちょっと」

 とH氏はトイレに立った。ま、生理現象である。そんなこともあるだろう。
 が、待っても待っても戻ってこない。あいつ、トイレでひっくり返ったか? でも、そんなに飲んだ?
 といぶかっていたら、戻ってきた。

 「ずいぶん長いトイレだねえ」

 と聞くと、

 「うん、前立腺肥大になっちゃって、なかなか出ないんだよ」

 はあ、彼は私の1歳下である。私はそのような年齢なのであるか。
 彼には、30歳年下の新妻を迎える日は絶対に来ない、と確信して横浜の自宅に向かった。

 ん? 私? 私にそのような新妻が来る日があるかどうかは不明である。何せ、現在妻帯中であるし、それが何とかなっても相手の問題もあるし。
 だが、私の前立腺はまだ肥大していないことだけは事実である。

 

前の日誌                            next
無断               メール