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 2012年10月26日 この救いがたきもの

 今朝の朝日新聞のコラム「天声人語」が、スーパーマンの変身を書いていた。

 ずっと新聞記者をやってきたスーパーマンこと、クラーク・ケントが上司に嫌みを言われ、

 「新聞はもはや、ジャーナリズムではなく娯楽に成り下がった」

 と啖呵を切って会社を辞めた。米国で発売されたばかりの最新作での出来事らしい。辞めたあとは、インターネットでの発信に取り組むらしい。

 ま、それはよろしい。ずっと新聞記者をやっtこられた天声人語氏が嘆かれるのは心情として理解できるし、そうか、いわれてみれば米国でも日本でも、電子新聞が発行される時代だなあと感慨にふけるのも

 「そうだろうな。世の移り変わりが激しいからな」

 と同情せぬこともない。

 が、私はひっかかった。天声人語氏は、最後の段落でこう書いた。

 「記者としての彼の難は、スーパーマンが降臨するほどの修羅場で『突然になくなる』ことだった。体が一つしかないのは当方も同じ」あれもこれもの器用さは持ち合わせない。ひそかな自慢が業界を去っても、新聞という地味な人助けにこだわりたい

 へーっ、この人、新聞は人助けだと思ってやってきたんだ。そんなことしか考えずに仕事をしてきたんだ。あんた、まともに事実に向かい合ったことある?

 という引っかかりである。

 さて、皆さん、我々の中に新聞に助けられた経験のある御仁はいるだろうか?
 例えばこの日、朝日の1面トップは、石原都知事のとつぜんの辞職、である。これ、人を助ける話か?
 あ、そういえば、昨日の夕刊、読売も毎日も日経も、石原が都知事を辞めるって書いてたけど、朝日にはなかったぞ。どうでもいいが。

 ほかのニュースは、日本維新の会の公約に、ドラフトで阪神が藤波投手(大阪桐蔭)の交渉権を引き当てた話。
 人助けにつながるような話はどこにもない

 では社会面は、と開いても、石原都知事の話が過半を占める。あとは千葉で水死した18歳の子供が、仲間に強要されて飛び込んだ疑いが出たという話。7カラットのダイヤモンドがネット公売に出てくる話、秋の園遊会の話……。

 よく見ると、冤罪関係の話が2つ。
 福岡県飯塚市で1992年に起きた女児2人殺害事件で、すでに死刑が執行された死刑囚に冤罪の疑いが出てきたという。
 東京電力女性社員殺害事件の犯人とされたマイナリさんの再審に絡む話。

 ま、これは人助けといえないこともないニュースかも知れないが、でもねえ、死刑囚といい、マイナリさんといい、逮捕当時は

 「こいつがやった。こんなに悪い奴だ」

 と書き散らかしたのは、どこのどの新聞でしたっけ? 警察や検察の尻馬に乗って、罪もない人を、これでもか、これでもかと叩き続けたのは誰でしたっけねえ?

 それが、

 「新聞という地味な人助けにこだわりたい」

 ってか。ふーん。

 いや、私は新聞無用論を唱えるつもりは毛頭ない。新聞は、情報はなくてはならないものである。新聞が電子化するのは避けられない流れではあろうが、これまで新聞は紙であったために収益モデルが成立した。多くの記者やカメラマン、印刷工などに人件費を払って事業を継続できたのはそのおかげである。だが、広く世界を見渡しても電子新聞が事業として成立する見通しは、まだどこにもない。そんな現状で、クラーク・ケントは、ネットで情報を発信するってか? どうやって収入を得る? それが解ければ、新聞電子化は一気に進むはずだが。

 いや、横道にそれた。いまの新聞の話に戻す。

 新聞は役に立っていると思う。石原都知事の話だって、政党の動きだって、日銀の動向だって、知らないより知っていた方がいい。物事を考えるときに、情報がなければ話は進まない。
 だから新聞は、風が吹けば桶屋が儲かる、というような長い筋道をたどれば、時には多少の人助けに役立つこともあるかもしれない。

 しかし、本来の役割は、世の中の動向を活字で運んで読者と世の中を結びつけることである、と私は思う。だから、場合によっては、読者が顔をしかめるような話であっても、世の中の動きを正確に伝えることこそ、新聞の役割だと信じる。

 朝日新聞は長い間、原発に対しては

 Yes, but

 という姿勢であった。原発は認める。だが、厳しく監視しますぞ、ということであろう。
 それが3.11を経て、反原発に舵を切った。ヨーロッパでは脱原発を目指す国がある。日本もそうすべきだ、という。

 私は原発が嫌いである。一端事故が起きれば、取り返しのつかない事態に立ち至る。
 だが、本当に原発抜きで日本のエネルギーをまかないことができるのか? 風車や太陽光発電という問題が多い代替電源に原発の代わりができると言いつのるおめでたい頭しか持っていないのか?

 脱原発を目指すドイツでは、電力料金の高騰が市民を悩ませている。それでも脱原発に踏み切れたのは、いざ電力が足りないという事態になれば、隣国から電力を買うことができるからである。その最大の供給国になると見込まれるフランスは、原発大国である。自国からは原発がなくなったとしても、原子力発電所でできた電力を買って急場をしのぐとすれば、それは「脱原発」なのか?

 不都合な真実まで伝えて、新聞は初めて使命を達するものである。安易に人助けにこだわっていては、大局を見失うことになりはしないか? それでもこだわるというのなら、救いがたいというほかない。


 そうそう、今日は6時から飲み会である。このところ晩酌が続いている。遺憾なことに、休肝日カレンダーはまだできていない。

 

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