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 2013年1月13日 経済政策

 が、いまほど注目されているときも滅多にない。
 なにしろ、みんな長引く不況に飽き飽きしている。飽き飽きしているだけならまだしも、まともな職に就ける若者が急減している。
 少数なら、

 「君、不幸な星の下に生まれたんだね」

 で済むかもしれないが、これだけ増えると、社会不安を呼び起こしかねない。
 定職がなく、ために結婚もできない。あるのは、将来への不安と絶望だけ。そんな立場に追い込まれたら、人間、何を考え、何をする?

 若くて貧しかった私は、革命を夢見た。能力に応じて働き、必要に応じて消費する。カール・マルクスの描いた共産主義社会の実現を夢見た。赤色は、私の目指すものだった。

 しかし、すでにして共産主義はたいしたものではなかった、という事実しか残っていない社会で、追いつめられた人間はどこに向かうのか?
 5・15事件2・26事件の背景に、東北の貧困があった歴史を認識しなければならない。民が鼓腹撃壌してはじめて、世は安定するのである。

 そんなときに、救世主が現れた。
 私の表現によれば、セコハン首相の登場である。
 なにせ、彼が自民党の総裁になっただけで、株価は上がり円が安くなった。首相になってからはさらに株高と円安が進んでいる。

 「ひょっとしたら、セコハンは日本経済の救世主かもしれない」

 そんな期待があるからだろうか。最近、数人の知人に、

 「ね、安部さんの景気対策、どう思います?」

 とのご下問を受けた。
 あんたらねえ、そりゃ、聞く相手を間違ってますって。そんな難しい質問に正確に答える能力があったら、私、今ごろ大学の経済学の教授になっているか、あるいはモテモテの経済評論家として、テレビに講演会に引っ張りだこで体がいくつあっても足りず、財布がいくつあってもお金を収めきれない幸せな暮らしをしてるって。

 が、である。問われたからには、何かを答えねばならない。私は律儀な男なのだ。でも、どう答える?

 「私、経済学者、経済評論家、マスメディアを連中を全く信用しておりません」

 これが入り口である。
 だって、彼らが言ったことで、まともに効果が出た実例を私は知らないのである。
 今回の、アベノミクスといわれるセコハン首相の経済政策の評価にしてからがそうである。10人の学者、評論家がいれば、10通りの評価がある。それって、もし経済学が科学であるのなら、全くもっておかしなことだ。
 科学とは、あることころまでの共通理解があって始めてなり立つものだ。立場の違いは、まだ十分に証明されたいないことについてのみ成立する。なのに、学問といいながら、何の実績もない百家争鳴というのが経済学の現状ではないか。どうすれば信用できる?

 セコハンが好きか嫌いか。私は嫌いだが、しかし、アベノミクスの評価は、それとは別のところで行われなければいけないはずである。

 アベノミクスの主要部分は、日本経済をいかにデフレから脱却させるかに主眼がある、と私は見ている。その脱却手法として彼が採用したのが、インフレターゲットだ。国を挙げて年率2%のインフレを実現するのを目標とする。
 株が上がっているのは、そのためだ。おう、首相がそういうのか。だったら、日本はインフレになり、いまは100円のものが、1年後には102円出さねば手に入らなくなる。つまりお金の値打ちが下がる。そんな思惑が引っ張って円が安くなっている。ものを持っていても価値が下がる時代が来ると思うから、お金が株に回って株価が上がる。
 脳みその足りないドジョウが一番上に居座っていた時代、じつは経済対策は何もなかった。相変わらずデフレは続き、株は安く、円は高かった。あんた、嘘をついてもいいから、この経済の現状を何とかしてよ、という声に応える能力に、ドジョウは決定的に欠けていた。

 だから、ドジョウがセコハンに代わったのは歓迎すべきことではないか?


 いま、セコハン首相がやろうとしているインフレ目標を掲げる政策は、アメリカのノーベル賞経済学者、ポール・クルーグマン教授が10年以上も前に言い出したことである。クルーグマンは1990年代以降の日本経済を分析、日本は流動性の罠liquidity trap)に陥っており、そこから抜け出す唯一の道は、お金を大量に印刷してインフレ期待を高めることだと主張した。

 当時、彼の著作を読んで驚いた記憶がある。従来、経済政策の主眼はインフレを押さえ込むことにあった。なのに、インフレを目指せだと? 違和感はあった。しかし、日本は当時失われた10年といわれた低迷の最中にあったのだ。私は

 「それしかないのなら、やってみたら?」

 と考えた。
 私のように、クルーグマン教授に賛同する人もいたが、沢山の異論が出た。クルーグマン説を採用するかどうかは 当時専門家を区分けする分水嶺にもなった記憶があるが、結局、保守派のガードを破れず、日本は失われた20年を体験した。

 無論、経済政策とは、机上の議論で片がつくものではない。実験室で試すこともできない。その政策の効果は、現実にやってみるしか分からない。うまくいかねば、大きな副作用と後遺症を残す危険もある。でも、現状を抜け出せるという理論、考え方がほかにないのなら、やってみるしかないのではないか? 経済の現状は、十分危険なんだからさ。


 セコハンは嫌いである。特に、外交、安全保障に対する姿勢には背筋が寒くなる。
 私は、幾分か年金生活者である。年金生活者がいちばん困るのはインフレだ。毎年同額の年金しか手にできない場合、デフレだと有利だが、インフレだともらうお金の価値が年々下がる。

 それでも、この経済政策の結果は見てみたい。

 無責任? まあ、私は責任を取る立場でもないし、責任をとることができるポジションにもいない。だから、気楽にいえるのか。ひょっとしたら、怖いもの見たさなのか。

 消費税率を引き上げて財政均衡を目指す、としかいわなかったドジョウより、遥かにましであると思うのだが。さて?

 

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