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 2013年4月8日 インプラント

 恐らく、幼きころ貧しく、栄養状態がよくなかったためであろう。あるいは、身に取り入れた栄養素が身長を伸ばすことに集中的に使われ、ここまで回らなかったのかもしれぬ。
 私は歯が悪い

 とうとう本日、インプラント手術なるものを受けてきた。

 インプラントとは、歯がなくなったところの骨にチタンやチタン合金できたネジを埋め込み、骨と結合するのを待ってその上に人工の歯を固定する手術である。

 私は、左下の奥歯がここ数年なかった。虫歯で抜歯したためである。

 「奥歯なしじゃ食べられないじゃないか」

 と抜歯した歯科医師に言うと、

 「大丈夫です。実は、一番奥の歯は食べ物をかみ砕くことにそれほど貢献していません。だから、最初は違和感があるかも知れないけど、慣れれば何でも食べられます」

 とのことだった。なるほど、しばらくすると奥歯がないことは忘れ、何でも食べていた。だから、それ以上の治療は考えもしなかった。
 ところが、1年少し前から、奥から2番目の歯、奥歯を取り去ったいまでは一番奥の歯が時折痛むようになった。歯科医に行くと、

 「ああ、こりゃあ歯根の1本がやられてますね。回りが化膿してる。それで歯茎が腫れて痛むんです」

 ほとんどの方が御存知だろうが、歯は歯肉から下の部分で2つに別れている。2本足で骨に突き刺さり、食べ物をかみ砕く部分を支えているのである。
 問題の歯は、2本の歯根の奥の方がやられているという。すでに抜いた奥歯を大事にしすぎたため、奥歯の菌が一つ手前の歯にまで襲いかかった結果だろうとのことだった。
 それは仕方ないが、さて、どうしたら?

 「痛みがひどくないうちは何とか使えるでしょうが、いずれは抜かなきゃいけなくなります」

 しかし、ちょっと待て。私の左下の歯は、もちろん親知らずはとうに抜いた。奥歯も虫歯にやられていまはない。その上、その手前の歯まで?

 「こいつまで抜いたら、食べ物が噛めなくなるじゃありませんか。どうしてくれるんです? うまい入れ歯の方法がありますか?」

 インプラントしかないですね」

 川に橋が架けられるのは両方に岸があるからである。橋はその間に架かって両岸をつなぐ。両側に健康な歯がある歯を抜く場合は、ブリッジ式の入れ歯という手もある。
 しかし、親知らず、奥歯と順になくなり、その手前の歯が今回の問題なのだから、この問題の歯の後ろにはなにもない。向こう岸のない川に橋は架からない。ブリッジは架けようがないのである。それでも橋を造りたければ、川の中に杭を打つしかない。インプラントもそのようなものだ。

 それは理解した。しかし、顎の骨にドリルで穴を開け、金属を埋め込む? ゾッとしない。だから抵抗した。何とか病んだ歯の命を長引かせようと朝晩の歯磨きは欠かさず、挙げ句は口腔洗浄器なるものまで買った。ノズルの先から水が勢いよく噴出し、歯の間に挟まったかすなどを吹き飛ばす器具である。

 「ああ、あれね。気持ちはいいかも知れないけど、あんまり効果はないんですよ」

 と歯科医にバカにされても気にもとめなかった。人の努力を見て笑う馬鹿者は我が輩(ともがら)ではない。

 病んだ歯を長持ちさせる。それには目標があった。
 次女の旦那は歯科医である。勤務医を続けながら開業を目指していた。そして、彼の願いがやっと届き、早ければ今年の年末に院長さんになる。
 彼は、

 「お父さん、私がインプラント打ってあげますから」

 と何度も言ってくれた。そうか、そうか、君に任せる。
 しかし、勤務医では診療報酬を自分の自由にはできない。インプラント治療は保険の対象外である。彼の務める歯科医院でインプラント手術を受けると目がくらむほどの金が吹っ飛んでいく。ネットで見ても、1本40万円程度、などという心臓に悪い数字が目につく。

 「私が開業するまで待ってください」

 彼が開業すれば、診療報酬を自由に決められる。勤め先の病院より遥かに安くなるはずである。

 「頼むわ」

 だから、病んだ歯には長生きしてもらわねばならなかったのだが。


 「ありゃあ、これ、歯の下の骨が溶けてますよ。もう限界です」

 数ヶ月前、再び痛み出した問題の歯を見せに歯科医に行くと、そう宣言された。

 「安堂さん、インプラントしかないですよ。いま歯がないところに1本打ちます。そのついでに、痛んでいる歯を半分に割り、歯根がだめな方を取り去って綺麗にしましょう」

 ここまで来たら仕方がない。次女の旦那が開業するのが目前に迫っているのに無念だが、桐生市の歯科医の言に従うしかなくなった。


 こうして、本日の手術となった。開始は午後2時、終了予定は午後3時。1時間を要する大手術である。

 「それでは、前に申し上げたとおり、残っている歯を半分に割り、できることなら今日、ここにもインプラントします」

 えっ、それ、聞いてない。問題の歯は半分に割って、健康な方は残す。インプラントするのは奥歯だけじゃなかったの?

 「いや、それじゃあ隙間が開くでしょ。2本打たないと」

 どうやら、かつての説明に行き違いがあったらしい。言われてみれば、半分になった歯の、なくなった部分はどうやって補うのかは考えなかったもんなあ。このすったもんだで20分ほど消化した。

 「じゃあ始めます」

 えっ、1時間かかると来てたんだけど、いまからやって3時に終わるの?

 「大丈夫でしょう」

 まず、不健康な歯を半分に割り、病んだ方を抜歯することから始まった。取り出された歯を見ると、歯根部分が2つに割れていた。

 「ほら、これが原因です。それで化膿していたんですが、やっぱり骨がずいぶん溶けていて、今日はこちらにはインプラントできません。3ヶ月もすると骨がふえてきますから、こちらはそれからにしましょう。今日は奥歯の方法インプラントだけということで」

 さて、それから何をされたのか。まな板の上の鯉である私には皆目見当がつかない。麻酔をかけてあったので痛みはなかったが、何やら小さなドリルみたいなものを私の口に押し込み、ごりごり穴を開けていたような……。口に差し込まれた吸引器具のホースが赤く染まり、歯科医師のゴム手袋にも血が付いている。ときおり、しょっぱい水が口中に飛び出すが、これは何だろう? 血の味ではないし、ひょっとしたら骨髄液?

 「これ、12ミリ?」

 「うん、これで大丈夫だな」


 などという会話が耳に入る。そして、とうとうネジが埋め込まれたらしい。

 「はい、そのまま口を閉じないでレントゲン室へ行って下さい。レントゲンを撮りますから」

 席に戻ると、

 「うん、これでいい。いい具合にできてる。はい、あとは傷口を縫いますね」

 縫い終わった。時計を見ると、まだ2時50分。へーっ、たった30分で終わるんだ。

 3ヶ月ほどしたら歯の部分を取り付ける。その頃には、一つ手間の歯の部分の骨も回復しているだろうから、もう1本インプラントをする。今日は血の巡りがよくなるようなこと、飲酒や激しい運動、入浴などは避ける。明日は必ず傷口を見せに来ること、来週抜歯をする……。

 諸注意を聞いて歯科を後にした。麻酔がなかなか切れず、夕刻まで左の唇から顎まで痺れていた。

 ま、この歯科医、確かに都会に比べれば遥かに安くインプラントをしてくれる。それで美味しく食事ができるのなら……。だけど、インプラント2本でマーチン1台分だぞ!

 本日は、私のサイボーグ化が始まった日である。

 

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