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 2013年6月20日 アクロバット

 ここしばらく練習している押尾コータローの「黄昏」、ほぼ完成の域に近づいた。ラテン調の美しいメロディを持つ曲だ。試しに、こちらで試聴していただきたい。

 ま、私の書くことである。完成の域に近づいたとは、弾き終わるまでのミスが十数回をいう。ミスが10回になれば

 「完璧の域に迫った」

 5回以下になれば、

 「矢でも鉄砲でも持ってこい!」

 ミスなしで弾けるようになれば、

 「いまや、私は押尾コータローを超えたのである」

 という表現になるであろうことは想像に難くない。

 何しろ、押尾コータローのCDを再生したのは、わずか5、6回。脳裏に残るこの曲は、私が楽譜、正確に言えばタブ譜を追いながら、自らのギターで、自らが紡ぎ出したメロディーである。私にとって記念すべき曲になるであろうことは疑いない。

 さて、何故に私は、この曲を弾きこなす域に近づいているのであろうか? なにしろこれは、ギターの天才プレーヤーともいわれる押尾コータローの曲であるぞ。

 いろいろ考えた。その結果、私にとって弾きやすかったのは、リズムがシンプルであったからである、という結論に達した。
 極めてシンプルなリズムである。ほぼ全曲が、同じ長さの音の連なりでつくられている。音を消すところもあるが、消す長さも同じである。ホンの一部、三連符が使われている。リズムが変わるのは、そこだけである。

 対するクラプトンの曲はベースがブルースだから、リズムは思いっきり変わり続ける。三連符が出て来るのは当たり前で、六連符、七連符、なんてのも登場する。3.5拍目から始まるところもあるし、シンコペーションも多くの場所で使われる。
 これが難しい。押さえねばならないフレットを探すのに四苦八苦している初心者(とはいえ、もう3年半以上やってるんだけど……)には、リズムに追いつくゆとりがない。
 つくづく、クラプトンのギターは難しいと思う。

 ま、ギターで金を稼ぐ気が皆無の私にとって、難しさも楽しみの一つではあるのだが。

 それはそれとして、押尾コータローの「黄昏」を弾きながら、なるほど、ギターとは指先のアクロバットであるか、と感じ取った。
 所詮、人間のやることである。どうやろうと、指が届かないところは弦を押さえることはできない。だから、指が届く範囲内でしか演奏はできない。
 しかし、指が届く範囲内とはいえ、その中で指を自在に操るのは至難の業なのである。

 「おいおい、あんたの指はそういう風に動くらしいが、俺の指はイヤイヤしているぜ!」

 てなところが沢山出て来るのである。
 皆様、右利きの方は左手を、左ききの方は右手を出していただきたい。その手には5本の指がついているはずである。
 え、小指を落としたから4本しかない? 失礼しました!
 6本あるぞ! そういえば、豊臣秀吉には6本の指があったとの説もある。そういう方もいらっしゃるかも知れない。
 4本であろうと、5本、6本であろうと、指があるだけではギターは弾けない。その、4本ないし6本の指が自在に動くことが必要なのだ。これが難しい。

 さあ、あなたの指が自在に動くかどうか。試みに紙に6本の直線を7m間隔で引き、その線に直交する3〜3.5cm間隔の直線を引いていただきたい。
 これがギターのネックである。6本の線は弦、3〜3.5cm間隔で引いた直線はブリッジだ。ギターはここを押さえて音程を決める。
 いま、6本の直線を上から順に1〜6と名付ける。3〜3.5cm間隔の直線は、左からゼロ、一、二、三……、としよう。

 押尾君の「黄昏」は、例えば、このような押さえ方を強制する。

 「1四、3四、6ゼロ」、「1五、3五」、「1七、3七」(ここまで三連符)、「1八、2五、5ゼロ(何処も押さえなくていい)」

 三連符の部分はま、少し練習すれば誰でもできる。問題は「1七、3七」の直後に「1八、2五、5ゼロ」を弾くことである。ほとんどアクロバットというような左手の指(私は右利きだから)の動きがなければ、スムーズには行かない。だから私は、いまだに

 「ほぼ完成の域」

 にしか達していないのである。

 指先のアクロバットができる。ギタリストは指先の魔術師である。私が目指しているのはそのような世界である。
 私が指先で魔術を使えるようになったら、ふむ、使い方によっては、歓びに浸って全身を痙攣させる女性が続出する……。

 というのは、私の白昼夢でしかないことは重々承知はしてはいる。しかし、まあ、夢を持つことは悪いことではなかろう?

 

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