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 2013年11月18日 とりあえず、スタート

 そこで、BUFFALOのカスタマーサポートの話である。

 前回にの日誌を起点にすると翌日、つまり土曜日午前中に、確かに電話がかかってきた。
 いわれるまま、あれこれつなぎ替えたり、パソコンに数字を打ち込んだり、会社の備品として我が事務所にあるウインドウズ機を使ったりしているうち、ウインドウズ機からは音楽を蓄積するためのハードディスクが操作できるようになった。しかし、我が愛機、iMacからは、相変わらず操作できない。

 「では、ウインドウズからはちゃんと操作出来るのですから、このハードディスクは正常に動いています」

 うん、それは理解できる。だけど、私のiMacからは、相変わらず操作出来ないままなんだけど。

 「こちらは、お届けした機器が正常かどうかの窓口です。それ以上になると、こちらの手には負えません。我が社のネットワーク担当にご相談いただくか、ルーターの1つを供給しているNTTさんにお問い合わせいただくか、どちらかしかありません」

 おい、姉ちゃん、それはないだろう。ここまで俺をその気にさせといて、

 「私には落ち度はありません。あんたとトコトン付き合う気もありません。あとはご勝手に」

 なんて冷たすぎるではないか。
 それに、だ。私に比べれば、遥かに専門知識を持っているに違いない方にすげなくそういわれると、何とも不安になる。
 その担当者に電話で問い合わせるのはいい。だけど、そこでも解決しなかったら、このハードディスク、どうするんだ?

 「その時は引き取ってくれる?」

 心は千々に乱れながら、でも、そのネット担当者とやらにとりあえず電話をするしかない。
 
 電気製品の、特にハイテク製品の問い合わせ窓口というのは、いつ電話をしても

 「ただいま混み合っております」

 という答えしか返ってこない。

 「ただいま順番におつなぎしております」

 といわれて、電話機をスピーカーフォンにしたまま放っておく。ま、その間他のことが出来るのだが、困るのはスピーカーフォンにしておくと、電池が著しく減ることだ。電池がなくなる前に担当者が出てくれる? いつも、そんな心配をさせられる。

 土曜日も同じだった。1時間ほど待ってやっとつながったとき、電池の容量が限りなくゼロに近づいていた。

 「分かりました。途中で電話が切れたらこちらからお電話を差し上げますので、電話番号を教えてください」

 大丈夫かよ、という心配で始まった会話は、だが、極めて心地よく進んだ。

 「あ、そうでしたら、我が社のエアーステーションをブリッジ接続にしてください」

 は? ブリッジ接続?

 「はい、そうすると、エアーステーションが、その前にあるNTTさんのルーターの一部になってしまうので、2重ルーターではなくなって、おっしゃってる問題は解消できるかと思います」

 どうすれば?

 「後ろにあるスイッチをoffにしてください。それで完了です」

 した。おお、出てきた、ハードディスクがiMacに。

 「はい、それで大丈夫だと思います。何かありましたら、またお電話ください」


 というわけで、2日間、いや、交換前のハードディスクと取り組んだときから数えれば8日間の奮闘が終わったいま、ハードディスクにCDのデータを移すことに血道を上げている。すでに100枚以上移し終えた。
 さて、これでSさんが言うような、CD以上の音質が楽しめるのかどうか。

 リビングにあるテレビの置き台に棚をつくり、ネットワークプレーヤーを置く場所は出来た。が、プレーヤーはまだ事務所に置きっぱなしである。
 これを居間のラックに移し、ハードディスク、クリスキットのプレーヤーと接続して音を出すのは、いまの予定では今週土曜日、

 さて、どんな音が出て来るか。


 特定秘密保護法案にメディアが目くじらを立てている。その根拠は、

 国民の知る権利

 である。

 ああ、金科玉条が出てきた。こんな時は、胡散臭さをかぎ取った方がいい。

 まず、国民は、そんなに「知りたい」と思っているのか?
 テレビのワイドショーで、芸能人のゴシップを知りたがるアホは沢山いる。しかし、国政に関するあれやこれやを知りたいという国民が、果たして何割いる? それでなくても新聞の部数は減り続け、新聞を読む時間は減り続けているののは、知りたいと思わない国民が急増していることの現れではないか。
 テレビだって、あのNHKのニュースすらがワイドショー化してきた。田舎出身のNHKの女性キャスターたちが、必死にはしゃいで見せようとする姿は、哀れでもある。したり顔の中身の伴わないコメントはあっても、知って良かったという情報は皆無に近い。テレビ朝日の報道ステーションは、世に不満を持つ自称正義感のためのワイドショーに過ぎない。
 このような社会で、

 国民の知る権利

 とは何なのか?

 そもそもいまの新聞、テレビは、秘密が保護されていない世の中で、本当に国民が知らねばならない情報を報道しているのか?

 と考えてくると、メディアの大合唱は

 「俺たちの飯の種をつぶさんでくれ!」

 という泣き言に聞こえてくる。


 多くの国が、何らかの形で秘密を保護する制度を持つ。であれば、我が国がそのような制度を整えることには合理性がある、と私は考える。
 事は、国家の行動、判断についての秘密なのだ。私が妻ではない女性と恋に落ち、図らずも関係を持ってしまった秘密は、墓場まで持っていった方がいいだろう。
 だが、国の秘密は、長く保つ必要はない。秘密にしなければならない期間が過ぎたら、主権者である国民に知らせなければならない。いつかは本当のことを国民に知らせねば、独裁国家になってしまう。
 そして、独裁国家はいずれ転覆する

 こう考えてくると、大嫌いな「維新の会」が提案している、30年たったらすべての機密を公開する、という修正案には合理性がある、と私は思う。あの、橋下の恩寵にあずかろうというげす根性しか持っていない連中にしては、これだけはまともである。

 にしても、だ。メディアの皆さん、二者択一論はそろそろ捨てたらいかがですか?
 そんな簡単な論理では読み解けない世の中になっていると思うのだが、正義と悪の対立構図でしか物事を考えられない思考法というのは、百害あって利なし、と私は愚考するものであるのですが……。

 

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