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 2013年12月26日 どうしたわけか

 風邪をひいてしまった。自覚したのは、昨夕である。

 昨夕は。バレエ鑑賞の夕べであった。
 といっても、2万円、3万円も出して一流どころのバレエを見に行ったわけではない。
 仕事で知り合ったバレエ教室の先生から、発表会をするから見に来ないかと誘われた。生徒は幼児から高校生。妻女殿にお伺いを立てると、

 「行きたい」

 とおっしゃる。であれば、私に四の五の言う術はない。

 「承知しました」

 と、専属運転手兼エスコート役を引き受けるだけである。


 午後から、何となく全身がだるかった。まさか風邪とは思わないから、

 「ふむ、を重ねると、冷え込みがこのような形で体感されるのであるぞよ」

 と己に説得を重ねた。
 やがて、出かける時間が迫る。

 「面倒だな。そもそも、子供のバレエを見て何が面白い? いや、プロのバレエだって、見てそれほど楽しいものではないだろ? 何でそんなところに出かけにゃならん?」

 胸の内での葛藤である。が、どれほど思い迷おうと、昨夕、私に自由はなかった。

 「出かけるわよ」

 ご招待いただいたお礼に、舞台に登場する子供たちの人数+αのクッキーを携えて出かけた。

 バレエは、まあ、そんなものである。
 教室に通い始めて間もない子供のバレエは、幼稚園の発表会レベルであった。
 それより少し時間を費やしたと思われる幼児のバレエは、まあ、そんなものか、であった。
 恐らく中学生であろう女の子のバレエは、

 「君、鏡の前で自分の姿を見ながら練習したこと、ある?」

 レベルであった。自分の体を、腕を、足を、どう動かしたら美しく見えるのか、全く自覚しないまま動かしているとしか思えないバレエだったからである。

 1人だけ、優雅に舞う女の子がいた。あとで聞くと、まだ中学生。が、スケートの浅田真央ちゃんに似ていなくもない彼女の舞は、実に優雅であった。真っ直ぐな骨が2本継ぎ合わせているはずの腕が、弧を描く。

 「えっ、君の腕の骨は軟骨?」

 全身が美しいカーブを描いてうねり、躍動する。この娘は自分の体、その動きを一番美しく見せる術を知っている。

 「この娘、ひょっとして才能ある?」

 
 いや、そんなことはどうでもいい。問題は風邪である。
 バレエの発表会は50分足らずで終わった。すぐに家に戻り、夕食の膳に向かった。いつものように、まず、ビール。何となく美味くない。
 500mlだけで缶でビールを切り上げ、日本酒にする。先日、ネットで買い求めた燗つけ器で人肌に温めた日本酒をいただく。いただきながら、鼻水が止まらない。かんでもかんでも、すぐにズルズルと鼻水が照れてくる。人肌の日本酒のおかげで体のうちから暖まってきたというのに、何となく寒気がする。

 「いかん、これ、風邪だわ」

 そう口にすると、妻女殿がおっしゃった。

 「そうしろって命令する訳じゃないけど、早めに布団には入ったら?」

 いや、それは自分でも考えていたことである。風邪をひいたら早めに寝る。十分寝る。
 私が風邪をひいたとき、彼女がしてくれた最高の看病は、

 「これ、食べて」

 とチョコレートを差し出したことであった。結婚して1年もたたないころの話である。そんな妻女殿ではあるが、昨夕の提案は合理性がある。
 が、である。私には持病があるのだ。

 「寝過ぎると、腰に来るんだよな」

 そうなのだ。布団に入っている時間が長くなると、確実に腰が痛くなる。恐らく、同じ姿勢をとり続けることで腰の筋肉が固まるのだろう。

 「早く寝たいのは山々なんだけど」

 食事を終えたのは、9時頃か。買い置きの市販薬を飲み、さてどうしようと思案したが、どうにもこうにも、布団に入る以外の選択肢が思い浮かばない。それほど、気分が悪い。
 風邪に背中を押されて布団に入ったのは9時半頃か。少し小説を読み、襲ってきた眠気に身を任せてそのまま眠った。

 今朝目覚めたのは8時過ぎである。
 昨夜の不快感は、完全とはいわないまでも、かなり消えた。早めの対処が功を奏したらしい。が、懸念したとおり、が突っ張っている。

 「風呂、わかしてくれ」

 朝食を終えて朝風呂。
 何となく贅沢な気もするが、これは贅沢ではない。腰を温めて、痛みを取ろうという医療行為である。
 20分以上も湯船に浸かっただろうか。その甲斐あってか、午前中は、ネットワークオーディオで音楽を楽しみ、さらに高校入試数学の難問に向かい合う精神的ゆとりが出来た。

 「高校への数学 1対1の数式演習」

 現在は座標軸上で図形を扱う分野を解き進んでいる。残りはわずかで。終わったら

 「1対1の図形演習」

 に進む。
 中学数学との対話は、いまや私の暮らしの一部。新たな問題に取り組む気になるかどうかは、私の精神の健全性を測るバロメーターである。
 もっとも、今日はギターに触ろうという気にまではならなかった。まだ風、邪からの回復途上にあるということか。


 新聞を読む最大の楽しみであった、日本経済新聞スポーツ面のコラム、「チェンジアップ」が今日。とうとう終わりを迎えた。筆者は西鉄ライオンズ(私が唯一好きなプロ野球球団)の黄金期を支えた豊田泰光氏。

 野球という狭い世界を掘り下げるだけなら、プロ野球で飯を食った連中なら、多かれ少なかれ出来る。
 だが、自ら球を打ち、取り、投げて華やかな舞台に立った経験を、歴史につなげ、社会と切り結び、将来への提言にまでつなぐライターを、私は他に知らない。
 新聞には、文字を書く専門家は沢山いる。それぞれの新聞が、それぞれのスターライターにコラムを任せているが、不思議なことに、豊田氏のコラム以上に胸にずしんと来るコラムを見受けない。頭の中だけで作り出される文章には、重さがない。どこか上滑って、

 「俺って、いい文章書くでしょ?」

 という自意識が鼻につく。
 が、豊田氏の文章には、自分の体をいじめ抜いて頂点に駆け上がり、その後の風雪に体をさらしてきた人にしか書けない重量がある。唯一比較できるのは、かつて朝日新聞で天声人語を書いた深代惇郎氏のみである。

 「チェンジアップ」

 の最終回は、豊田氏へのインタビューだった。

 ——歴史の重要性を説いてきた。

 「プロ野球の一番の財産は80年に及ばんという歴史だ。楽天の田中将大が稲尾和久(西鉄)の連勝記録を破った。半世紀前の鉄腕と時空を超えて力比べをし、勝った。奇跡を起こす人間の力を示してくれたわけだが、そのすごさが分かるのも、歴史という物差しがあればこそだ」
 「うれしいことに各球団が歴史に目を向け始めてくれている。西鉄を継いだ西武は黒い霧事件の記憶を消したかったのか、長らく西鉄時代をなかったものとしていた。この連載の初回では西鉄OBの帰る家を失った寂しさを書いた。その西武が球団史に西鉄の記録を載せ、稲尾の背番号24を永久欠番にしてくれた。セレモニーに呼ばれ、西武ドームであいさつしたとき『稲尾が今もそこにいるような気がして』といったきり、声が出なかった」

 西鉄とは、福岡に本社を置く西日本鉄道がかつて所有したプロ野球球団である。
 黄金期は1956年〜58年。日本シリーズで、知将と呼ばれた三原修監督に率いられ、憎っくき巨人を3連覇した。
 中でも58年は3連敗したあと4連勝。主戦の稲尾はたった7試合の日本シリーズで4勝2敗の成績を上げた。つまり、ほとんどすべての試合でマウンドに立ったということである。ローテーションに縛られた今のプロ野球では考えられないことである。
 稲尾が投げれば、西鉄は勝つ。

 「神様、仏様、稲尾様」

 ファンは、本気でそういった。当時、小学校3年生だった私の記憶にくっきりと刻み込まれている歴史の一幕である。
 豊田氏は、その西鉄の黄金期を支えた最高レベルのプロ野球選手であった。だから、豊田氏が言葉を詰まらせたところまで読み進んだとき、私の涙腺も緩んだ。
 この人の感受性は素晴らしい。

 その豊田氏が筆を置く。
 
 「何でえ。早くく来週にならないか、と思わせてくれた唯一のコラムが新聞からなくなるのかい。新聞がますますつまらなくなっちゃうねえ」

 とがっかりしつつ、豊田氏には

 「本当にご苦労さまでした」

 と心からの礼を述べたい。

 本当は面と向かっていってみたい、それをきっかけに雑談をしてみたい私である。

 ありがとう、西鉄時代の、そしていまの豊田さん!!

 

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