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 2014年4月8日 また前橋へ

 妻女殿の具合が、今ひとつよろしくない。
 足のむくみは腎臓の治療をする薬の副作用で、腎臓の方は順調に回復しているから副作用を抑えるために利尿剤を飲みましょう、といわれて安心したのは、先週の金曜日である。
 あれから4日。いまだに具合が悪い。

 「ねえ、今週の金曜日、仕事休める?」

 といわれたのは昨夜であった。私がいなければどうしようもない仕事があれば別だが、通常は仕事より健康を優先する。それが、人が生きる世の常識である。

 「金曜日、病院に行きたい」

 膠原病というのは難病に指定されてるだけあって、患者数は多くない。全国でも60万人弱という。だから、前橋日赤に膠原病の専門医が来るのは毎週金曜日。それ故の「金曜日」である。

 「まず、病院に電話をしろ。受診できるかどうかの確認だ。仕事は何とでもなる」

 今朝電話をしたらしい。車を運転中の私に電話がかかってきて

 「明日でも、仕事大丈夫?」

 専門医が、明日も日赤病院に来るらしい。ひょっとしたら、患者数が増えつつあるのか。

 というわけで、まだ1週間もせぬうちに、明日、前橋日赤に行く。ま、私は運転して、時間が来るまで本を読んでいるだけだが。


 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也著、新潮文庫)

 を読了した。最終章、不覚にも嗚咽した。

 木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし

 と歌われ、世界最強の格闘家を自他共に認めた柔道(柔術)の天才木村政彦は1954年12月、プロレスの力道山とリングで戦い、力道山の殴打と足蹴に昏倒して敗北した。
 柔道だけでなく、柔術、空手、ボクシングと、あらゆる格闘技を身につけ、ただ勝つことを至上の命題として己の肉体、技を鍛え抜いた木村政彦が、関脇上がりのプロレスラー、力道山ごときに、負けるはずはないのに、何故に敗北したのか。
 その謎に挑んだ著者は、戦前からの日本の柔道、柔術の歴史をひもとき、関係者に執拗なまでの取材を繰り返し、一歩ずつ解き明かしていく。そこから浮かび上がったのは……。

 木村政彦が世を去ったのは1993年4月。あの対決を機に、力道山は最強の格闘家として名声と金を手中にし、木村は多くの人から忘れ去られた。だが木村は、屈辱の敗北から40年近い年月を生き抜いた。再戦を挑み、一顧もされないと、一時は短刀を懐に抱いて

 「力道山を殺す」

 と付け狙う。本当に殺すことができたら木村としての筋は通り、身は囚人となりながらも、どこか吹っ切れて余生を送れたに違いない。
 だが、力道山は突然ヤクザに刺し殺された。それでも木村は生き続けた。戦いに勝つことだけにすべてを注いだ男が、屈辱を晴らせぬまま、屈辱の敗北を引きずって生きる40年。言葉にできぬほど壮絶な時間であったに違いない。

 1000ページ以上もある大著を読み終えて思う。
 あの屈辱があったから、木村政彦の一生は、価値があったのではないか?

 1日10時間の稽古を己に課し、大木に受かって打ち込みを繰り返し、裂けた肌は癒えぬまま大木に激突を繰り返して硬くなった。そのような修練を積み重ねて世界最強を志し、そしてその地位に就いた。木村の前半生はまさに絵に描いたような成功譚である。それだけなら、私のような凡人は仰ぎ見るしかない。そして、それだけの人生なら、私にとってはつまらん。

 「ああ、そうなの」

 といえば、それで終わりである。

 しかし、実力では遥かに劣る相手に屈辱の敗北を喫したことで、木村の人生の色模様が変わる。なぜ、あの時勝てなかったのか。世界最強の男も、私と同じように鬱屈するのである。鬱屈しながら、叫び出したいほどの屈辱に身を焼かれながら、だが生き続けることを選ぶ。
 だから、木村の生き様が光り輝く。鬼神のごとく強かった(電車のつり革についているプラスチックの輪っかを、この人は握りつぶすほどの握力を持っていたそうな)のに、やっぱり人間としての弱さをもっていた。自分の弱さが許せず、過酷な修練を己に課して強くなった。それでも己の弱さは克復できなかった。
 自分を見いだし、鍛え上げた恩師への離反、己を継ぐ力があると見切った弟子への愛情。様々なものが屈辱の敗北とともにあり、木村の一生はになった。

 実に様々な問いを読む者に突きつけてくる本である。
 武道など知らない、関心がない、という人も、生きることに関心があればこの本に目を通して欲しい。名著である。


 というわけで、今晩から次の本に移る。

 「ケプラー予想」(ジョージ・G・スピーロ著、新潮文庫)

 ケプラー予想の何たるかも知らない(いや、本当に全く知らないのです)私が、何故にこのような本を買ってしまうのか。
 ケプラー予想の何たるかも知らない私に、この本が読み解けるのか。

 まあ、そんなことはどうでもよく、多分、途中で居眠りしながら、でも、部分的には引き込まれながら、読み通すに違いない。
 私は、そのような読書家である。


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