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 2014年11月9日 学術的裏付け

 女性が女性であるだけで高い地位に引き上げられるのは、男が男であるというだけで高い地位を手中するのと同じく変である。
 
 という、ごく当たり前のことは、ずいぶん前から書いてきた。その私の「先見の明」に、やっと世の中が追いついてきた。週刊誌や月刊誌で同様の主張が散見されるようになってきた。

 もちろん、連中にそのような筆を執らせたのは小渕松島の失態である。

 産業政策を司る経済産業省を率いる立場だった小渕は、自分の政治活動に関係する金の流れを全く把握していなかった。ふむ、経済産業省が統括する企業とは、自らに絡む金の流れをトコトン把握しなければ立ちいかぬものである。そのトップが、金の流れを知らなかったが故に辞職するのは、一種のブラックユーモアである。

 松島は法務相であった。わざわざ指摘するまでもないことだが、法務省とは今の法秩序を維持するのが役目である。法を厳格に運用し、法を破る輩を引っ捕らえる。
 そのトップに立ちながら、美しくもない、むしろ醜い己の似顔絵を印刷したうちわを地元で配り、公職選挙法に違反していると指摘された。すると、

 「あれは政策を議論するための資料。たまたまうちわとしても使える」

 と三百代言を繰り返した。つまり、この女、法を守らぬ輩を取り締まる最高責任者でありながら、己ははなから法を守る気持ちがない。
 痴漢やひき逃げ、盗みなど、おいおいといいたくなることをする警察官がなんだか増えている。松島が法務大臣になったのは、そんな流れの一コマか? 

 これが安倍内閣の「女性登用」の実態であった。女性が輝く日本へ、などと意味不明のスローガンを掲げたことがすべての根源にある。女性であろうと男性であろうと、輝くヤツは自分で輝く。人の助力がなくても自力で輝き始める。
 あとは、私と同じその他大勢で、自ら輝くことはない。こいつらを輝かせようとしても、絶対にいぶし銀の輝きは出ない。出せるのは自力で輝き始めたヤツだけである。


 月刊誌「選択」の11月号、巻頭インタビューに

 「女性登用は無理するな」

 という見出しがあった。インタビューに応じたのは、早稲田大学ビジネススクール准教授の入山章栄さんだ。中身は、私の直感を学術的に裏付けたものである。
 曰く。

 「女性を入れれば、そのまま組織が良くなるんだというのは論理の飛躍だ。経営学的に見て、女性が増えたから業績が上がるといった研究成果は主流ではない。むしろ組織内の軋轢が増加してマイナスになることさえある。イノベーションを生み出すために、組織を多様化させることは正しいが、女性登用の数値目標が正解ではない」

 「性別や人種といった見た目に頼った多様性を導入しても、組織内に断層が生じてうまくいかなくなる」

 「性別や人種の多様性によって、組織の業績は変わらないどころか、むしろマイナスになりうるという結果が出た」

 ふむ、私が直感的に

 「それ、違うだろう!」

 と感じ続けてきたことに、学術的な裏付けがあったとは。


 そんなつまらぬ閣僚人事をやっちゃった安倍がいま、中国にいる。なんでも習近平と会談するのだとか。
 まあ、このところの日中関係を顧みれば、首脳同士が一日も早く会って話をするのはいいことである。いいことなのだが、女性登用にも現れたように、物事を根源から考える習慣がなく、何となくその場の空気で動いてしまう安倍君に、海千山千の習近平の相手ができるのか? 考えてみれば心配だ。

 まあ、首脳会談とは形式だけのもの。実質的なことはすべて官僚同士のすりあわせで決まり、首脳はそれに従って書かれたシナリオ通りに動くものである。だから、実質は官僚同士の戦いかも知れないが、しかし、映画だって、俳優によって成否が決まることがある。三船敏郎がいなくて、黒澤明の「羅生門」は撮れたか? ハリソン・フォード抜きで「インディ・ジョーンズ」はあり得たか?

 安倍君はどう見ても、お坊ちゃま育ちの、親と爺ちゃんの七光りで成り上がった大根役者。体をはって権力闘争を生き延び、這い上がって頂点に上り詰めた習近平と互角の相撲が取れるとは思えない。
 ま、そんな総理しか持てないのが今の日本であるのだが。


 何となく腰の具合がいい。コラーゲンのおかげか? 長時間椅子に座っても腰が重くならない。第一、朝起きたときに、腰がそれほど気にならない。

 「いやいや、まだプラシーボ効果の疑いもある」

 と、褌(ふんどし)を締め直している私である。



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