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 2015年8月8日 捨てる

 このところ、捨てる作業に追われている。
 いや、終活ではない。まだ死ぬ気はない。
 例え私の知らないところで死が間近に迫ってきているとしても、己が死んだあとのことを考え、残していく家族に迷惑をかけないよう身のまわりはできるだけ整理しておこう、などという殊勝な気持ちは、私にはない。俺が死んだあとのことまで、どうして俺が考えておかねばならぬ? 残されたものが好き勝手に処分すればいいではないか。どうせたいしたものはないのだ。

 いま捨てる作業を続けているのは、映画、である。これまで録り貯めた映画を捨てるのだ。

 なにしろ、数が増えすぎた。増えすぎて、すでに5000枚を突破した。ディスク収納ケースに納めてできるだけ嵩張らないようにしているが、もう棚2つが満杯である。
 それに、新たに録画してディスク化する映画は毎月絶えない。つまりストックは増え続けている。手をこまねいていては、さらに棚を買い足しても数年で収納場所に困るのは目に見えている。何とか対策を取らざるを得ないのだ。
 そして、対策たり得るのは

 捨てる

 ことだけなのである。
 
 しかし、せっかく録画した映画だ。録画する際は私の記憶と各種の資料(といっても、月間番組表の解説や、WOWOWが送ってくる番組表の能書き程度だからたいしたものではないが)にあたって、

 「面白そう」

 と判断したものに限定しているのだから、闇雲に捨てるわけにはいかない。ではどうすれば捨てられるか? これも答えは一つしかない。

 見る

 のである。見て、つまらない映画だと判断すれば、躊躇せずに捨てる。
 といっても、ディスクに収めた映画である。本のように常に携行し、時間さえあればところ構わずページをめくるようなわけにはいかない。映画を鑑賞するにはテレビの前に、少なくとも2時間前後は座り込まねばならない。しかも、映画は一気に見る勢いが必要だ。

  私は録り貯めた映画を数十に区分けしている。アカデミー賞受賞作、カンヌ受賞作、などは簡単に分離できるが、何の賞も受けていない映画もたくさんある。それは制作国別で分け、主演俳優で分け、と工夫した。
 このうち、世界の主要な映画賞を受賞した作品は、ほぼ見た。

 「何でこんな映画が?」

 という駄作もかなり混じるが、まあ、腐っても受賞作だ。これは捨てるわけには行くまい、というのが私の判断である。

 だから、捨てる対象は、非受賞作である。2ヶ月ほど前、まず米国の映画から取りかかった。それも、たまたま鑑賞席、といってもテレビのあるリビングルームだが、そこの椅子のそばに出してあった「ら」の区分から取りかかった。邦題が「ら」で始まる映画群である。終えて「わ」に進んだ。現在は「ろ」である。
 ここまで見て、捨てることにした映画は、まだたったの25本である。全体からすれば雀の涙だ。作業は遅々として進まない。

 という生活習慣を身につけてしまった私は昨夜、

 「ローマ帝国の滅亡」

 を見た。上映時間3時間14分。監督アンソニー・マン、主演ソフィア・ローレン。ネット上の映画データベースである「allcinema」では

 「格調高く見事に再現されたローマの神殿、壮大な儀式の模様など、見どころ満載。かなりのスケールの大きさを感じさせてくれる秀作である」

 と紹介されていた。
 3時間以上も椅子に縛り付けられるのは、いくらかの苦痛を伴う。だが、秀作、か。いい映画を見るためならそれもやむを得ぬ。昨夜は夕食を済ますとテレビの前に直行、鑑賞態勢に入った。
 だが……。

 愚作である。
 まあ、思い切り歴史を無視してくれた。
 ローマ五賢帝の1人であるマルクス・アウレリウスの晩年から話は始まる。
 己の死期を悟ったマルクス・アウレリウスは、自分の子であるコンモドゥスにはの戦闘の能力しかないと、軍人のリヴィウスを後継者にしようと考える。

 少なくとも賢帝と呼ばれた人である。実子よりも才ある部下に後事を託そうと考えることもあろう。ところが、だ。このリヴィウスさん、実は架空の人のようである。現実には、マルクス・アウレリウスはまだ生きているうちに、コンモドゥスを後継者に決め、その通り、コンモドゥスが後を継いでいるのだ。おいおい、いくら映画だからって……。

 で、映画では、コンモドゥスの取り巻き連中が

 「どうも皇帝はリヴィウスに帝位を譲るつもりのようだ。そうなれば俺たちは終わりだ」

 と己の利権を守る悪巧みをし、なんと皇帝を毒殺しちゃうではないか。それも、刃の片側に蛇の模様が彫ってあるナイフを取り出し、

 「この彫り物に独を流しておく。このナイフでリンゴを切り分け、毒のついた方を皇帝が、そうでない方を自分が食べる。そうすれば、皇帝は疑いを持たない」

 まあ、笑わせてくれる毒殺劇だ。あれよあれよ、の展開である。
 
 こうして、というか、そににもかかわらず、というか、コンモドゥスが帝位を継ぐ。多rたかいが大好きだったはずのコンモドゥスなのに、皇帝になると戦場に出ようともせず、すぐ宮殿でに阿呆ぶりを発揮し始めるのだ。

 「楽しくてこそ人生」

 と、帝国の中心であるローマでは、飲めや歌えの大騒ぎを繰り返し、歳入が足りなくなると属州の税金をポーンと上げる。ま、典型的な暴君ぶりである。しかも、従わぬ民を殺戮するのでなく、ローマ市民にすることで帝国を広げてきたローマなのに、この皇帝、

 「殺せ! 殺せ!」

 と叫ぶばかりだ。保守主義者ではなく、変革が大好きらしい。
 従っても法外な税金を取られる。従わねば殺される。こうして、帝国の東方で叛乱が起きる。東方の治安にあたっていたローマ軍もこの反乱に加わり、あろう事か、そのローマ軍の敵であったはずのペルシア軍まで引きずり込んじゃう。もう、ローマの東方の治安はメロメロだ。

 そこでコンモドゥスは、帝国北方の治安にあたっていた北方軍を東方戦線に回す。その北方軍の統率者はは、あのリヴィウスだ。
 おいおい、そんなことしたら北から攻められるぞ、と私なんぞは心配するのだが、コンモドゥスさんは意にも介さない。
 しかも、だ。当時のローマにとっては、最大の脅威はペルシアであったはず。つまり、ペルシアを抑える東方軍の方が、北の守りにあたっていた北方軍より強いんじゃないか? 実力は同じだとしても、これにエジプトなどの属州の軍、さらにはペルシア軍も加わったのだから、この戦争、どうみても反乱軍の方が優勢であるはずなのに、なぜかリヴィウス軍が勝っちゃう。不思議だ。

 まあ、ことほど左様にはちゃめちゃな映画で、史実も論理もまったく無視しちゃう映画は、幕切れにさらなる驚きを用意していた。どういう訳か、リヴィウスとコンモドゥスが一騎打ちをし、リヴィウスが勝って次代皇帝になっちゃうのだ。いってみれば、徳川家康と服部半蔵が一騎打ちをして、服部半蔵が将軍になるような話なのだ。
 そして、はちゃめちゃの末に、やっぱり平和がいいね、っていっちゃうのだが……。いったい何なんだ? この映画。

 よくもまあ、こんな奇想天外な映画を作ったものだと思う。しかも、セットは誠に見事である。当時のローマを彷彿とさせるというか、いや、当時のローマより何倍も立派なのではないかと思わせるというか、とにかく、金に飽かせた映画なのである。
 この中身にこの衣装。山田花子が、全身をプラダのオートクチュールで飾り立てたようなものだ。まったくもって金の無駄遣いとしかいいようがない映画である。

 というアホらしい映画に3時間14分も付き合った私は、おもわず

 「捨てる」

 と決めようとした。
 が、すぐに思い直した。
 これ、ネットで引いても沢山のコメントが出て来る有名な映画なのだ。

 「ということは、有名であることと、優れていることはまったく違うという真実を象徴した映画ではないか?」

 かくして、この一作は捨てられる運命を免れ、我が家でさらし者にされることになった。評価は五段階の2。本当は1にしたかったが、1であれば何故残すのかという疑問が生じかねないので、泣く泣く2にした。

 それでも、捨てられずに済んだ。とすれば、有名であることも、まんざら悪いことではないのか?
 まあ、名誉に死ぬか、汚辱にまみれても生きるか、それぞれでの選択ではあるが。



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