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 2015年9月18日 冷蔵庫

 といっても、東芝製冷蔵庫の欠陥問題を蒸し返そうというのではない。あれはあれで一件落着した話である。今日の冷蔵庫は、小説に登場する冷蔵庫の話である。

 阿刀田高に「干魚と漏電」というショートショートがある。いや、物知りを気取るのではなく、たまたま手にした

 「日本文学100年の名作 第7巻」(新潮文庫)

 に収録されており、前から順番に読み進めて、今日の夕方、この小説に到達した、というだけのことだ。そして、作家と編集者のレベルの低さに唖然とした。

 夫と死に別れたおばちゃんが新しい家に引っ越してくる。間取りも前の家とほぼ同じ。電球の数は前の家の方が多かった。使っている家電製品は前の家で使っていたものばかりである。
 であれば、毎月の電気代は引っ越し前とほぼ同じになるはずだ。いや、電球の数が、わずか1個とはいえ少ないのだから安くなってもおかしくはない。ところが、ちょうど1年前の同じ月と比べて電気代が3割ほど高いのだ。

 「誰かが電気を盗んでいる」

 おばちゃんは捜索を始め、電気会社を呼びつけて原因を探らせると……。

 という話なのだが、手短に言うと、かつてこの家に住んでいた男が妻を殺し、死体を電気冷蔵庫に詰めて床下に埋めていたのである。もちろん、この電気冷蔵庫には電気が通じており、ずっと冷え続けていた。だから死体は腐らず犯行はばれなかった、というトリックだ。使っていた電気が隠蔽工作を暴いた。
 
 読み飛ばせば、何ということもない話である。よくもまあ、こんな奇想天外なことを考えるわい、と褒めてもいい。
 だが、私は読み飛ばすことに失敗した。ために、こんな荒唐無稽なトリックを、書いた作家も書いた作家である、おいおい、ちょっと待てよ、止める編集者は新潮社にはいなかったらしい、と悪態をつくことになってしまった。

 だって、考えてみて欲しい。電気冷蔵庫はどうして庫内が冷えるかを。

 冷蔵庫が冷えるのは、冷媒を使って庫内の熱を外に逃がすからである。
 冷媒はコンプレッサーで圧縮されて高温のガスになり、パイプの壁を通して外気と接して熱を逃がす。そうすると冷媒は冷えて液体になる。次はこの冷媒を冷却器に通して圧力を下げるので、液体だったのが気化してガスに戻る。この時に周りの熱を奪うので、冷蔵庫内が冷える。そう、液体が気化するには、周りから沢山の熱エネルギーを奪い取らなくてはいけないのだ。

 阿刀田先生も新潮社の編集者も、このような仕組みをご存じないのかな?
 この仕組み、冷蔵庫の中が冷えるわけが分かっていたら、いくら電気を通しているとはいえ、土の中に10年以上も埋められた電気冷蔵庫が動き続けているはずがない、とはすぐに思いつくはずだけどなあ。

 ご家庭にある冷蔵庫の取扱説明書をちょっと開いていただきたい。冷蔵庫の背面と壁との間にいくらかの隙間を作れ、と必ず書いてあるはずだ。隙間は、熱い冷媒ガスが中を通るパイプが外気と接して熱を逃がすために必要なのだ。壁にピッタリ押しつけられては、効率よく熱を逃がすことができない。
 その冷蔵庫を土に埋める? そんなことをしたら熱の捨て場がないではないか。

 ここからは私の勝手な理解だが、熱を捨てられない冷媒ガスはいつまでたってもガスのままだ。一度液体にならねば庫内を冷やすことはできない。そうすると

 「おい、コンプレッサー、お前、サボってんじゃないの? もっと圧縮しないと冷やせないぜ?」

 という文句というか、指令が出て、コンプレッサーはさらに圧力を高めようとする。そうすればいずれは働き過ぎのモーターが焼き切れる。つまり、冷蔵庫は死んで、中はちっとも冷えなくなる。

 で。だ。冷蔵庫を土に埋めるということは、冷蔵庫の背面は土にピッタリ押しつけられるわけで、隙間なんかは何処にもない。こんな状態で、冷蔵庫が10年も動き続けるか?

 小説とはフィクションである。書いてあることは、まあ、絵空事だ。ファンタジーなら、人が空を飛んだり、魔法の絨毯があったり、指輪に魔力があったりするのも許されるが、これはミステリー。読者に

 「なるほど!」

 と膝をたたかせなければならない。現実には絶対に起きえないことを前提に謎解きが進んでは、読者は

 「そんなバカな!」

 唖然とするばかりである。
 だって、自分の女房を殺さねばならなくなったとき、使えないじゃないの、この手は。だとすれば、読む意味がなくなるじゃないか!

 とは、少し穏やかでないか……。


 埼玉県熊谷市での殺人事件。日系ペルー人の男が6人を殺したらしい。テレビも新聞も連日この事件を取り上げている。
 どうしてこんな事件を大々的に取り上げるんだ? 関係ない人たちが細かな点まで知る必要が何処にある? どこまで覗き見趣味に奉仕するんだ、君たちは? と極めて常識的な考え方をする私は、あまり熱心な視聴者、読者ではない。が、

 「えっ!」

 と気になる点が1つある。
 犯人と目されている男の名前も年齢も住所も、つまり個人情報がすべて公開されていることだ。いいのかね、これで。
 だって、情報の断片をつなぎ合わせると、この男、どうも精神的に壊れてしまっている。つまり、精神障害者である公算が極めて高い。精神障害者は、未成年者と並んで匿名報道が原則なのではなかったか?

 いや、実名報道が悪いと主張したいのではない。犯人が未成年でも、精神障害者でも、犯行時に精神障害に陥っていても、犯罪を犯した責任は果たさねばならないという考え方が少しずつ強まっていることも承知している。

 だが、匿名報道から原則実名報道への転換は、最高裁判決のような「きっかけ」がこれまでない以上、少しずつしか進まないはずなのだ。つまり、過渡期においては、実名報道と匿名報道が入り交じるのが自然の成り行きである。
 それなのに今回は、すべてのメディアが実名報道を推し進める。あの男の精神障害を疑いうる材料が出始めてからも、匿名に切り替えたメディアはまだない。

 何かにつけて人権を振りかざすメディアは多い。自分ではない人や組織が人権を侵したと見られる場合、鬼の首を取ったかのようにはしゃぐのがメディアの常である。
 だが、この事件では、これまで人権の一つとされてきた精神障害者の匿名報道を、メディア自らが破り、人権を侵害して恥じないようにも見える。

 メディアに巣くう方々は、本当に人権に敏感なのか? それとも、彼らにとって人権とは、都合がいいときだけ使って敵をなぎ倒す便利な道具に過ぎないのか?

 しばらく、ペルー人男性の名前に注目したい。



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