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 2015年9月19日 これから

 「それから」ではない。「これから」である。「それから」では、私が夏目漱石になってしまう。少なくとも、尊敬する漱石大先生の著書のタイトルをパクってしまうことになる。

 で、「これから」である。このタイトルは、言葉通りに取っていただきたい。今日からどうするの? という意味である。

 安全保障関連法が成立した。

 何度か書いたが、私は「強行採決」が行われたとは考えないし、ましてや、与党の「暴挙」だとは口が裂けても言わない。自民・公明が野合する与党は、多数決原理という民主主義のルールに則って採決した。その結果法が成立した。
 自民党が暴力団を国会に入れて反対する野党を議場から閉め出し、与党だけで採決したのではない。彼らの議席数は、政府与党による選挙干渉、つまり警察権力などを使って野党候補者の選挙活動を徹底して妨害して得た絶対多数でもない。すべては、民主主義のルールに沿って今日に至ったのである。
 これを「強行採決」「暴挙」と表現するのは、勇ましい言葉を使わねば気分が盛り上がらないと考える連中が意図的に言葉のインフレーションを創り出しただけである。

 「議論が尽くされていない」

 という反論がある。だから強行採決だ、と。そうだろうか?
 議論とは、お互いに歩み寄って、双方が納得できる落としどころを探るためにある。どれほど周到に考え抜こうとも、人間が抱くに至った主義、主張には、必ず欠陥がある。だから、主義・主張が真っ向から対立する双方がお互いの主張の欠陥を指摘しあい、それぞれが己の主張の欠陥に気がつくことによってよりよい結論を紡ぎ出すものである。
 言い換えれば、議論が成立するためには、双方が、自分の主義・主張は変更可能であるというゆとりがなければならない。

 さて、今回の安保法制の議論、お互いに歩み寄れるところはあったろうか?
 日本を守るためには米国との軍事協力が不可欠で、米国は日本を守るが日本は米国を守らないという片務的な関係では協力は成立しない、という与党。
 いま安保法制を整備するというのは、日本が戦争に突き進む第一歩だ、と批判する野党。
 この間のどこかに、双方が納得する決着の地があるだろうか?
 私には思いつかない。

 であれば、野党は何を求めて議論をするのか? 「議論を尽くせ」という、一見良識的に見える主張も、ひと皮剥けば、

 「廃案にしろ」

 といっているに過ぎない。議席数という力を持たない連中の雄叫びは負け犬の遠吠えに似て、主張は空回りするしかない。

 絶対に譲り合えない主張がぶつかるとき、多数決原理に従うしかないのである。

 だから、「これから」だ。
 法律は成立した。さて、この法制に反対してきた勢力は、これで負けたのか? 
 無論、目先では敗北した。だが、目先の敗北が次の勝利へのジャンプ台になることだってある。それが世の中の面白さである。

 私が反対派なら、まず打つ手は訴訟である。元の最高裁長官までが「違憲」と言い切っていた法律である。成立した法律の違憲判決を求めて提訴する。
 判事とは、何よりも法律が好きな変わり者の集まりである。すべての法律を根っこで支える憲法への思い入れは、我々の想像を超えているはずだ。まともな法律バカが裁判官として訴訟に臨めば、最高裁でも違憲判決が勝ち取れる可能性は大きい。

 問題は時間がかかることだ。その間に、ひょっとしたら自衛隊が海外に出かけてドンパチやっちゃうかも知れない。
 幸い、それは避け得たとしても、いまの国会は最高裁判決をなかなか実行しない。定数訴訟がその代表例である。で、最高裁で

 「憲法違反だ」

 といわれても何もしない国会を罰する力は、いまの制度上何処にもない。諸外国から

 「日本は法治国家ではなくなった。これからならず者国家と呼ぼう」

 とバカにされるだけである。

 だから、実効性のある唯一の手段は、次の選挙で自民・公明の与党連合を野党に叩き落とすことなのだ。だが、今のままでは絶望的であろう。
 だから、この法制に反対してきたすべての野党は、小異を捨て

 「安保法制廃棄」

 だけを軸に結集する。選挙区ごとに統一候補を立て、自民党、公明党に挑む。
 まあ、今日の事態を招いたのは、政権を取った際の民主党のでたらめぶりであった。火星人鳩山、勘違い菅、野田ドジョウの3代にわたる首相は甲乙つけがたいバカ揃いであった。すべては口先だけで何とでもなると思い込んでいるお坊ちゃま軍団であった。大きな期待を抱いて民主党に投票した国民も、あまりのことにあきれ果て、

 「やっぱり、自民党しか政権政党にはなれないのか」

 と諦めて今日を迎えた。
 いまでも、岡田や枝野、安住の民主党があの頃と変わったとはとても思えない。だから

 「えーっ、あいつらと協力?!」

 という心持ちになるのはよくわかる。私だって政治の世界にいたら同じように考える。
 共産党も嫌われ者である。だってあの人たち、何でもかんでも大資本の横暴にしちゃうんだもん。世の中の仕組み、理屈を学ぼうなんてところが皆無なんだもん。ドグマ主義、って魅力ないんだよ。
 そういえば、小沢一郎さんも力がなくなって、山本太郎ってとっちゃん坊やと組んじゃうし、いまや嫌われ者なんだろうなあ。
 だが、安保法制を壊さねばならないとすれば、それしか道はない。なーに、無事政権を取って安保法制を廃棄したらすぐに国会を解散すればいいではないか。そして再びみんなバラバラになり、独自路線に戻ればよろしい。

 それにも増して大事なのは、街頭で安保法制反対を叫んできた人たちが諦めないことだ。2015年9月18日に全国で100万人が街頭に出て反対運動を展開したのなら、10月は120万人、11月は150万人、来年9月には500万人が街頭に出て安倍政権打倒を訴え、国会解散に追い込む。

 思い起こせば、あれほど盛り上がった60年安保、70年安保も、条約が国会で成立すると運動の浪はサーッと引いていった。街頭で反安保を叫ぶ集団は数年もすると皆無になった。自民党からすれば

 「ほーら。あいつら、一時の気の迷い、流行で反安保と叫んでいただけさ」

 といわれても仕方がない成り行きだった。

 「今回は違うぞ!」

 そういう信念を持つ国民が500万人にも1000万人にも増えなければ、次の選挙でも政権交代は起きない。安保法制は壊せない。

 で、前にも書いたけど、有名人の皆さん、ほんの一時だけ街頭に出て、あたかも自分が良識派であるような格好をするより、今日から本気で政党を作り、政権奪取を目指してくれませんかね?

 え? 作曲をする時間がなくなる? 本も書かなくちゃいけないし? 研究が遅れる?

 そこをなんとかさあ……。



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