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 2016年1月13日 これは!?

 という驚きに捕らわれたのは、入浴中のことであった。
 青い。いや、これは紫か。
 左の太ももの膝から上の(「の」が限りなく続く不格好な日本語ではあるが……)後ろ側が青紫色に変色していた。いま測ってみると、長さ=上下24p、幅=横行き15pの不格好な楕円形である。

 「ありゃま。これは何じゃ?」

 裸になり、湯船に浸かり、シャンプーをしようかと鏡の前に座ったときに気がついた。
 その程度だから、痛みはない。痒みもない。今の今まで、私の身体の一部が変異を起こしてるとは、まったく気がつかなかったのである。

 「さて、何でこんなことになったのか?」

 変異に気がついた私は、我が暮らしの中にその原因を探った。
 このような広範な紫斑が出る原因で、まず考えるのは打ち身である。

 「ここ、どこかにぶつけたっけ?」

 あるいは、誰かに蹴飛ばされたか。この頃はおとなしくしているので、私を蹴飛ばしたいと思う女性はいないはずだが……。
 ここ数日の暮らしを思い起こしてみても、まったくそのような記憶はない。我が日常生活は、時々仕事をすることを横に置けば、映画を鑑賞するか、算数の問題を解くか、でおおむね暮れた。

 「そういえば」

 確か昨日の夜、映画を見ながら左脚の付け根を自分でマッサージした。苗場でのスキーの後遺症で、左脚の付け根の筋が張って歩きにくくなっており、その凝りを取り去れないか、との試みであった。
 が、だからこのマッサージは、左味の付け根から膝に向かって行ったもので、今日紫斑を見つけた場所とは異なる。

 「では、何が原因だ?」

 それがわからない。わからないだけに気持ちが悪い。

 「そんなに大きな紫斑、見たことないわよ」

 常日頃、紫斑とは切っても切れない暮らしを続けている妻女殿がおっしゃった。

 「私、しょっちゅうできてるけど、ずっと小さいわよ」

 紫斑のサイズが小さいことに優越感をお感じになられたか? というようなひねくれた解釈をしてみても、我が左脚の紫斑が小さくなるわけはない。

 「それ、お医者さんに行ったほうがいい」

 これも妻女殿のお言葉である。私にも異論はない。

 「明日、とりあえず内科医に行ってみるわ」

 と話しながらも、頭の中で、何とか原因を特定できないかと探るのはインテリの習い性か。

 「打ち身ではないとすると、他に何がある? 薬害? 服用しているのは腰の薬と中性脂肪を減らす薬程度だぞ。これで薬害が起きるか?」

 「どこかの臓器不全? にしては身体は元気だけどな」

 
それとも

 「寝相が悪くて、寝ている間に壁か柱にぶつけた?」

 ありそうな話だが、自己認識としては、このところの寝相はすこぶる良い。啓樹は大きくなりすぎて抱けなくなったが、瑛汰や璃子を抱いて寝ても、私が寝返りを打って2人を押しつぶすことはなかった(嵩悟が出てこないのは、嵩悟はまだボスと寝ることができないからである)。夜眠るときの姿勢と、朝起きたときの姿勢が極めて似通っており、

 「俺、この頃寝返りを打たないのか?」

 と自分で不審がっているほどである。
 では、原因は何か?

 そういえば、「強壮百歳酒」という酒を、確か3日ほど前から飲んでいる。これ、確か息子がどこかからの土産として持ってきた韓国の薬酒である。この甘い酒が私の身体に合わなかったか? しかし、薬酒と銘打った酒が紫斑を招くか?

 まあ、日常生活には何の問題もない。ズボンをはけば見えなくなる部位だから、見た目が悪くなることもない。ただただ、個人的に気持ちが悪いだけで、いまのところ、他に困ったことは何も起きていない。

 それでも、明日は一番に医者に駆け込もうと決意する私であった。


 「増補 日本語が滅びるとき」(水村美苗著、筑摩書房)

 を読んでいたら、人類がこれまでに生み出してきたコンテンツをすべてデジタル化したら、という話が出てきた。「らかす」を含めたホームページが1千億(もちろん、「らかす」が言及されているわけはない)、シュメール語が記された粘土板から最新の出版物まで3200万冊の本、などと並んで、「50万本の映画」とあった。

 えっ、人類がこれまでに創った映画は、たったの50万本? だったら、我が家には5000本ほどの映画がストックされているから、何、100分の1にもなるの? すごいストックだなあ。

 と改めて感じ入った私はいま、そのストックを減らすべく、日夜、映画鑑賞に励んでいる。昨夜は

 「将軍月光に消ゆ」

 と、

 「戦争のはじめかた」

 を見て、いずれもストックに値しないと判断、ゴミ箱に入れた。といっても、録画前のBD-Rが入っていたスピンドルに移しただけだが。
 目標は、ストックを3000本に減らすこと。それには2000本を超える映画を見て、2000本の映画をゴミ箱に入れなければならない。毎日1本見たとして、最低で5年はかかる大事業である。なにしろ、これまでに処分し終えた映画は、たったの108本しかないのだから。

 という贅沢な悩みを抱える私には、

 「この紫斑、やっぱり臓器不全で、私は不治の病である。ああ、我が余命は幾ばくか」

 などと悩んでいる時間はない。

 というわけで、これから映画鑑賞の時間である。
 皆様、紫斑に悩まされるなどということがないように、特にご高齢の方はご自愛いただきたい。



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