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 2016年2月9日 自己評価

 新聞の書籍広告を眺めていたら、こんな言葉が目にとまった。

 「能力の低い人ほど自分を過大評価するのはナゼ?(答えは本書44ページに)

 ほほう、さようなものであるか。ちなみにこれは

 「自分では気づかないココロの盲点」

 という本のキャッチコピーである。amazonの新書部門で第1位とあったから、そこそこ売れている本なのだろう。ということは、このコピーに心を動かされる人が沢山いるということか。

 このようなコピーに心を動かされるということは、きっと自分に自信がない人たちに違いない。自信がないから家庭でも会社でも自分の居場所がなかなか見つからない。
 いや、それだけなら大枚1000円も出してこんな本を買おうとは思わないだろう。そう、この本、新書という割には1000円する高い本である。
 きっとこの本を手にする人たちは、

 「そういえば、あの部長、うちの課長、それに隣の課の課長も、自信満々に見えるけど、たいして能力ないんだよな。それなのに、どうしてあんなに自信満々でいられるんだろう?」

 という疑問を持ったに違いないし、

 「だけど、あの部長も課長も、どこか優れたところがあるか? ないよな。あんな無能力な奴らが何故か自信満々で、しかも会社の中で偉くなってる。これ、いったいどういうことよ?」

 と、訳のわからぬ世の中への不信感でパンパンになっているのに違いない。で、思う。

 「ひょっとしたら、この本に何か答えが書いてあるのかも!?」

 ま、私、この本を買う気も読む気もないけれど、何の答えも書いてないことだけは確信している。だって、そもそも、自分に自信を持つなんてことは、もともと能力の低い人にしかできないことだと思うからだ。

 はばかりながら、私は自信を持ったことなどない。だから、己を過大評価などしようもない。何故か。
 困ったことに、己を最もよく知るのは己である。そしてさらに困ったことに、人間というヤツ、知れば知るほど、

 「こんなにいい加減なことでいいのかよ!」

 と怒鳴りつけたくなるものとしてこの世に存在する。
 いや、他人のことはわからないが、少なくとも私については、そうである。

 「娘、娘と、威張るな娘。娘屁もすりゃ糞もする」

 とは、デカンショ節の替え歌である。デカンショとは、デカルト、カント、ショーペンハウアーをまとめたものだそうだが、この際は関係ない。
 
 ここで歌われているのは真実で、かつて女に振られた我が友に、

 「という歌があるが、お前、あの女がした屁を吸いたいか? 糞してる姿が美しいか?」

 と聞いたら、即座に

 「うーん、やっぱり綺麗か!」

 と答えた。当時は和風便器の時代である。こいつ、パンツを脱いで膝を深く曲げて中腰となり、便器にまたがっている彼女の姿を脳裏に描いて、

 「あ、あれも見える、これも見える! あそこに吸い付きたい!!!」

 と発情したか。
 ま、これも、この際関係ない。

 関係があるのは、人間、外面はなんとかかんとか整えているが、一皮剥けば他人には知られたくないことのオンパレードである事実だ。いかなる美女も、パンツを脱いで和風便器にまたがってては、イメージは保てない。だから、誰もその姿には言及しない。

 そういえば、吉永小百合について先の替え歌を披露したら、

 「小百合は屁も糞もしない!」

 と断言した先輩がいた。勝手にしろ、アホ!

 娘は、娘であるイメージを維持するには屁も糞もしないような顔をし続けなければならぬ。世の秩序はそのようなものとしてできている。
 だから私も、ここに己のくだらなさの具体例を書き連ねることはしない。私だって、少しは外面をよくしたいのである。そのような事もあって、自信とは縁がないのである。

 そんな私でも、優越感を持つことはある。
 例えば数学の試験で私が学年最高の87点を取り、ライバルが83点に留まったときである。

 「あ、俺の方ができちゃった! やったね!」

 だが、それでも自信は持てない。だって、13点もミスしているではないか。
 いや、例え100点だったとしても、私にはフェルマーの定理は理解できない。流体力学の基礎となったというナヴィエ=ストークス方程式は雲の上の存在だし、電磁気学のマクスウェル方程式なんて、見ただけで吐き気を催す。

 「何でこんな方程式を考えつくヤツがいるの? そもそも、この方程式、何を表してるんだ?」

 上には上がいるのである。それなのに、どうして自信など持てようか。ましてや、自分を過信できようか。何かにつけて見えてくるのは、中途半端でしかない自分の情けない姿ではないか。

 つまり、己を過信できるヤツというのは、自分を超えた存在が数限りなくいるという現実を知らない幸せな連中なのである。自分を評価するには、己と同等、あるいは超える能力を持ったヤツが他にいるのかいないのか、を知らねばならぬ。それを知らないことに何の問題も感じない程度の知性しかないから、己に自信が持てる。
 キャッチコピーをひっくり返せば、真実が見える。

 自分を過大評価すのは能力が低い人である。

 100mを9秒フラットで駆け抜ける能力を持っていれば、己をいくら評価してもよい。それは数字で表現された世界一の実力なのだから。
 だが、それも、やがては9秒5になり、10秒でも走れなくなる。そして、8秒台で走る新しい天才が登場する。それだけのことではないのか?

 謙虚さ

 それをなくしては人間としての原点を失ってしまうと思うが、いかがだろう?



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