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 2016年3月1日 運転

 ホッホ!
 わたしゃ、今日の毎日新聞夕刊を見て、思わず笑ったね。

 「事故 自動運転車に過失」

 社会面トップの記事である。
 何でも、今年2月中旬、記事によると西部カリフォルニア州で、あのグーグルが開発中の自動運転車がバスとぶつかった。自動運転車はトヨタのレクサスを改造したもので(この事故とレクサスは何の関係もない。私が嫌いなブランドだから、あえてここに記す。記事にも書いてあったし)、前方に砂袋があったのでとりあえず止まり、この砂袋を回避して走り出したところ、後ろから来たバスに衝突したのだという。

 いや、これは共同通信が配信したニュースなのだが、日本語として事故の状況が分かり難い。後ろから来たバスに衝突した、とは、どのような事故をいうのか? 普通に考えれば、突然車線に出てきた自動運転車をバスが避けきれず、バスの法が自動運転車に衝突しちゃった、という事故だと思うのだが、共同通信の記者はいま少し日本語を学ばれるがよい。

 ま、それはそれとして、だ。
 いつのことかは忘れたが、私は自動運転車への懸念を、この「らかす日誌」で書き記した記憶がある。その時懸念したのは、自動運転には外部との情報のやりとりが必須なはずで、外部とつながっているかぎり、ハッカーがそこに割り込んで車を勝手に運転してしまう恐れがある、というものだった。

 今回の事故は、そこまで至らないうちに事故っちゃったわけで、

 「おいおい」

 というほかない。

 そういえば、地方のタクシー会社を中心に、自動運転タクシーの早期実現を望む声が強いらしい。NHKのニュースでも数日前にやっていたが、ここ桐生のタクシー会社の社長さんも、1ヶ月ほど前に同じ事をいっていた。

 ・運転手の高齢化

 ・運転手の採用難


 を理由賭してあげる。
 だが本音は、

 「だって、ロボットタクシーにしたら人件費はただですかね。我々にとって、これ以上ありがたい話はないわけです」

 というところらしい。
 ところが、だ。社長さんにはありがたい話が、社会にとってありがたい話であるかどうかはわからないのである。中でも、無給で働かされるロボットはつらかろう。辛さが昂じて、たまにはバスの前に飛び出して事故でも起こしてやるか、と考えないとも限らない。いや、その程度で治まるのならまだしも、

 「こんな生活、もう、いや!」

 と世をはかなんで自殺、いや、自損事故に走るかも知れない。誰も乗っていなければそれでもいいのだが、乗客がいたときにロボットに自殺衝動が起きたらどうする?

 と言いつのりたくなるほど、私は運転の自動化が怖い。
 だって、相手が人間なら、当たらずとも遠からずのところで、前や横を走る車の運転手が何を考えているかは推し量ることができる。でも、自動運転になったら、相手はロボットだぜ! ロボットが何を考え、どう判断していま走っているのかを想像することが、人間である私にできるのか?

 ロボットタクシーが走り始めたら、恐らく、統計が取られるのであろう。人間が運転している車と、ロボットが運転している車の事故率である。ひょっとしたら、人間の方が遥かに恐ろしい運転手であると、数字の上では出るかも知れない。

 だが、である。
 それでも、人間として納得できる事故が起きている社会の方が、精神衛生上はいいのではないか?
 と思ってしまう私は、時代遅れのアナログ人間なのか?

 そして、前に書いたように、ハッキングされる恐れのある自動運転車を、我々は本当に信頼できるのか?

 人間とロボット。
 SFの世界で描かれ続けてきた対立が、とうとう現実化しようとしている。私たちは、ひょっとしたら、大変面白い時間を生きているのかも知れない。


 で、これはロボットではない人間の過失の話。
 横浜に住む次女が、今日になって運転免許が期限切れになっていることに気がついたのだという。次女の誕生日は7月。免許の更新日は誕生日だから、違法状態が7か月以上も継続していたことになる。

 その間、毎朝6時前に、歯医者の旦那をJRの駅まで送って夜は迎えに行き、娘を保育園に送り迎えしていた。息子のサッカー教室も進学塾も次女の運転する車がなければ成り立たなかっただろうし、時には私を駅まで送ってくれた。

 えっ、あれ、全部無免許運転だったの?!

 いや、免許の更新を忘れたということは、まあ迂闊ではあったが、運転する技量がそれによって変わることはない。いや、むしろこの間、私が知るかぎり、次女の運転技術は向上した。いまでは安心して助手席に座っていることができる。

 それでも、運転免許が有効であることが運転する条件である。

 「運転する技量さえあればいいではないか。国に我々の運転の自由を左右する権利はない!」

 と大段平を切ってもよいが、ミーちゃん、ハーちゃんがハンドルを握る現代では、誰も耳を貸さぬだろう。そうなのである。我が妻女殿のように、機械を操作する自由を生まれつき持ち合わせていない不器用な人が、ある日突然思い立って車を運転されては、周りは大迷惑するに違いないのだ。

 それはそれとして、次女の家庭、つまり瑛汰と璃子の一家は、これで車が使えなくなった。瑛汰はバスで予備校に行ったというし、さて、明日の朝、旦那はどうやってJRの駅までたどり着き、璃子はどのような手段で幼稚園に向かうのか?

 子供たちにとっては、すべてが便利すぎるいまの世の中を、少し離れて見てみるいい機会になるとは思うのだが、心配なことである。



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