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 2016年3月17日 新聞

 今朝の朝日新聞に目を通されただろうか? 珍しい記事が載っていた。原子力規制委員会が朝日新聞の記事に抗議したというのである。

 抗議を受けたのは、14日の朝刊で報じた

 「川内原発周辺の放射線量計 非難基準値 半数測れず」

 という記事だとあった。
 記事は、川内原発の5〜30q圏に設置されたモニタリングポスト(多分、計測器を設置した装置だと思う。新聞記事はこのような専門語を使わず、できるだけ普通の言葉で書くべきである)48台のうち、22台が毎時80マイクロシーベルトまでしか測る能力がなく、住民が事故後直ちに避難しなければならない500マイクロシーベルトを測定できないことを指摘したものだったとある。
 まあ、確かに、その通りだとすれば、これは困ったことだ。80マイクロシーベルトを超えたことはわかっても、それが90マイクロシーベルトなのか、600マイクロシーベルトなのかわからないことには、避難しなければならないのか、そこに留まっていてもいいのかの判断はできない。

 これに対して、規制委員会の田中俊一委員長は

 「半分測れるとか、測れないとかが問題ではない。我々がモニタリングによって(避難を)判断するために必要十分かどうかだ」

 と強調したとあり、

 「立地自治体や周辺の方たちに無用な不安をあおりたてたという意味で犯罪的」

 と述べたのだそうだ。

 まあ、誰が何をどのように言おうと、我々読者には関係ない。その関係ない立場でこの記事を読むと、規制委員会の言い方には無理がある。

 原発で事故が起きた場合、放射性物質の流れ方は予測がつかない。A地点とB地点がわずか500mしか離れていないとしても、A地点の放射線量は毎時50マイクロシーベルトであるのに、B地点では700マイクロシーベルトを超えるということもあり得る。
 ということは、すべての測定地点で、正確に高い数値まで測定できる用にしなければならないはずだ。その設備が整っていないのに、規制委員会はどうやって避難の必要性を判断するのだろう?

 だが、ひょっとしたら、上に書いたのは素人談義かも知れない。私が素人である以上、その危険はある。そして、48台中22台が80マイクロシーベルトまでしか測れないのだとしても、専門家の集まりである規制委員会には独自のノウハウがあり、避難すべきかどうかを判断する手立てがあるのかも知れない。その自信があるから、朝日新聞に抗議したのかも知れないのだ。

 抗議を受けた事実を紙面を割いて掲載した朝日新聞の判断は実によかったと思う。しかし、そこまでやるのなら、規制委員会の抗議の全文、その根拠となる事実のすべてを紙面に載せなければならない。部分的につまんで談話の形で載せると、上に書いたような疑念が読者の中に沸き起こるのを止められないのである。

 「朝日さん、あんた、自分に都合のいいところだけ記事にしたんとちゃいまっか?」

 抗議された事実を伝えた朝日新聞の判断は英断であると思う。だが、せっかくの英断したのなら、疑念が残らないような記事にしなければ意味がないのではないか?


 と私が思ってしまうほどに、大手メディアの信頼度は落ちている。メディアが伝えるデータはそれなりに信用しながら、そのデータを通じてメディアが訴えかけようとする主張には

 「何を偉そうに!」

 と反発する読者、視聴者が増えている。

 と考えたのは、米国のトランプのおかげである。

 共和党のトランプ候補をまともな大統領候補とみなすむきは、報道を見るかぎり、当初は皆無であった。人種差別を隠さず、過激な発言で大衆の鬱憤を組み上げる発言に終始するトランプは道化以上のものではない、と切り捨てていた。
 ところが、予想に反してトランプ人気が続く。次に現れたのは、トランプへの集中的な批判である。

 「こんな下劣なヤツを米国の大統領にするのは、いや、その候補にすることさえ、米国の恥である」

 といわんばかりの集中砲火を、メディアはトランプに浴びせかけた。

 それなのに、である。メディアがいきりたてばたつほど、トランプ人気は上昇した。いまや、共和党の大統領候補は、トランプでほぼ決まりと言っていいのではないか。

 ペンは剣より強し

 ペンを持つ人たち、いや、ペンしか持てない人たちが好む言葉である。だが、米国のトランプ現象が表しているのは、

 「ペンよ、偉ぶるのもいい加減にせよ」

 という、民衆がペンに対して突きつけたノンではないのか。

 トランプ人気を支えているのは、米国の下層大衆だといわれる。きれい事ばかり並べる政治家に飽き飽きし、いや、飽き飽きする前に

 「あんたがきれい事を並べている間に、俺たちの暮らしはどんどん悪くなってるんだけどなあ」

 と怒りを抱き、トランプの品のない発言を、

 「そうだよ。あんた、本音で政治をやる気だね」

 と受け止め、希望を抱く。ナチスが台頭したかつてのドイツにも似た状況である。
 そして、メディアは、本音を隠し、表面はきれい事を並べながら、でも裏ではゴッポリと懐を膨らませている政治家と同類とみなされているのではないか。

 「ニューヨーク・タイムスが、ワシントン・ポストが、トランプはダメだって書いた? おお、それならトランプは本物だ。あいつを大統領にしようぜ」

 米国はいま、そんな流れにあるように見える。
 それは、貧富の格差が限りなく広がってしまった経済政策の失敗がもたらしたものであろうが、しかし、だとしても、だったらメディアの存在価値とは何なのか? 多くの、見捨てられた大衆から、勝ち組の一員としかみなされないメディア。
 メディアが正論を書けば書くほど、世の中はその真逆に向かって突き進む。そのような社会で、メディアはどのように振る舞ったらいい?

 メディアはどうしたら、大衆との間にかつてのような蜜月を築けるのか。

 朝日新聞の今朝の報道と、米国大統領選挙の展開を見ながら、私らしくもなく真面目になっちゃった本日であった。



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