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 2016年5月8日 ロングドライブ

 前回予告したとおり、5日から昨日までロングドライブに行ってきた。

 5日午前6時に桐生を出て、まず京都の伏見稲荷へ。そこから神戸・三宮のホテル。翌日は西宮神社で「諸国講社太々神楽祭」という催しに、何故か不信心、無神論の私も参加。終えて三重県四日市に向かい、同行者はそこから近鉄特急で伊勢へ。私は啓樹、嵩悟の待つ長女一家のマンションで一泊し、翌7日午後3時に同行者と四日市駅で再会して桐生に戻った。

 2泊3日、走行距離1200kmから1300kmほどのロングドライブである。ハンドルを持ったのは私ひとり。

 鞄持ち兼運転手

 私の立場を前回、そのように表現した。鞄こそ持たされなかったが、確かに運転主役は充分以上に務めた。
 感想はただ一言で済む。

 「俺の、意外と持つじゃないか」

 腰に爆弾を抱え、整形外科に行くたびに

 「日常生活はちゃんとできてますか? 車の運転は大丈夫ですか?」

 と医者に聞かれる私である。どうやら、腰が悪化すると車の運転もできなくなるらしい。
 まあ、時折のロングドライブは、せいぜい横浜まで。片道150kmである。それはこなせるので

 「横浜まで、程度なら」

 と答える私であるが、次回は胸をはって

 「阪神・三宮往復はいけまっせ!」

 と答えることができるのである。


 5日はO氏を拾い、前橋でIさんを拾って一路京都を目指した。北関東自動車道から、どういう訳か長野市近くまで山を登り、

 「ほう、真田家とは、このような山の中に棲息した山猿一族であったか」

 と思いを戦国時代にさかのぼらせつつ、松本、岡谷と経由して中津川、という経路である。それまで、当面の目的地は、名古屋・熱田神宮、京都・伏見稲荷の2説あったが、このあたりで、当面の目的地が、伏見稲荷に決まった。なんでもお札をもらいに行くのだそうだ。

 「あなたたちねえ、何で狐がありがたいの? 狐のお札を買ってきてどうしようってか? そのうち木の葉っぱに戻っちゃうぜ」

 と毒づいてはみたものの、多勢に無勢。それに、私は単なる運転手なのである。私の意見など通るはずもない。やむなく車を京都に向ける。

 なにしろ快適な車の旅で、連休中というのに高速道路はガラガラ。ものすごい勢いで我が愛車は疾走した。ここに具体的な速度を書き記さないのは、ひょっとして警察関係者が「らかす」に目を通したりすれば、逮捕されかねないと心配してのことである。ま、数回の休憩を取りながら、昼前後には伏見に到着したことから平均速度を計算することもできるが……。

 高速道をの空き具合と裏腹に、観光地伏見稲荷は大変に混雑していた。さて、車をどこに止める?

 「真っ直ぐ行けば駐車場があるんだけど、これじゃあ入れそうにないなあ」

 「こっちに行こう、こっち」

 同乗者が勝手にわめく。はあ、そうですか。では線路の手前を左折します?

 「いや、線路を越えて左折した方がいい」

 はい、承知しました。

 こうして紛れ込んだ道は、何とも最悪であった。狭い。車1台がやっと通れるほどの道幅しかない。それなのに、一方通行の標識はない。

 京都の方々はどのような運転技術をお持ちなのであろう? ひょっとして、京都限定で、狭い道で車同士がすれ違う時は、一方が空中に浮く特殊機能を持った車でも売られているのであろうか?

 などと、この世の不思議に思いを馳せていると、道はますます悪くなる一方である。この狭さだけでももてあましているのに、なんと曲がり角まであるではないか。
 えーっ、こんなところ、曲がれるか?

 曲がった。何とか2つ目の角まで曲がった。
 もう何とかなるだろうと前方を見ると、あれまあ、道はさらに狭くなる。おいおい、どうしろいっていうんだ? こんな道なのに、道沿いに駐車場を設けている家まであって……。ほんと、京都のドライバーは超絶テクを身につけた連中ばかりなのか?

 「安堂さん、これ、右だと思う」

 狭くなる一方の道を恐る恐る進むと、またしても曲がり角である。右? いや、この角を右に曲がるのは至難の業でっせ。それに、これ、右に曲がると行き止まりみたいだし……。

 この時、運転手ははじめて己の判断に従った。ハンドルを左に切ったのである。何とか曲がってくれ、と祈りつつ。
 狭い角での左折の場合、注視すべきは左のサイドミラーである。車体が何かに接触しないか、目を懲らしつつ、少しずつ車を進める。よし、何とか曲がれそうだ、と思った瞬間、右前部で嫌な音がした。

 ガツッ

 ん? 右の前には何もなかったはずだが? が、とにかく左折しないことにはこの窮地を脱することはできない。行くしかない。
 曲がった。曲がることができた。と安心したのもつかの間、道はさらに狭くなる。だんだん狭くなるくさび形の道をひたすらに前進している感じだ。そして、目前に踏み切り。

 「あれー、こんなところにタクシーの車庫があるよ」

 同乗者の声に応えて左を見ると、確かにある。えーっ、こんな道を毎日出入りするタクシーがあるってか? 京都はミステリーの宝庫である。

 その踏切、我が車のサイドミラーとの隙間は、目測で両側とも5cm前後。しかも、だ。踏切を渡った先に、自転車を押して待っている人がいる。あんなところをすり抜けられるか? どいて、どいて!

 ガスッ、ガスッ

 車の底が擦ったらしい。そういえば、この踏切、妙に線路敷地だけが盛り上がり、道との間にかなりの段差があった。しまった、乗員を全員降ろしておくべきだった! というのは、先に立たない後悔であった。

 何とか普通の道にたどり着いた私の運転技術は、京都人には遥かに劣るであろうが、一般論としてはななり上手な部類に入るものと思われる。京都人だけが異常なのである。

 何とか駐車場に車をいれ、外に出て右前部を見ると

 「……」

 ざっくり、とまではいわないが、見事に長さ15cmほど塗装がはげている。まあ、樹脂製のバンパーだから錆びる恐れはない。とはいうものの、かなり目立つ傷ではある。

 「どうする? 塗装したら5万円じゃきかないだろうなあ……」

 ホームページによると、伏見稲荷は商売繁盛・五穀豊穣、安産、万病平癒、学業成就に御利益があるのだという。いやそれだけではない。交通安全のお守りだって売っている。

 「ホントに自信を持ってお守り売ってる? 伏見稲荷さん?」

 伏見稲荷に参拝に来た車が傷つく。これだから神社なんて当てにならない。いや、だからお守りを買いなさい、という脅し商法なのか? それとも、ここまで来たからこれだけの事故で済んだ。来なかったら、もっとひどい事故を起こしてまっせ、とでもいうつもりか。
 と毒づく私は、

 「すべては神の御心のまま」

 なんてヤワな連中とはひと味もふた味も違う人間であるのであるぞ! なめるな!!

 参拝を終えて(いや、参拝したのは同行者だけ。私は境内を散歩した、と表現するのが正しい)、何故か「餃子の王将」で昼食。この味で、この価格で、よくぞ経営がなり立つものだと思う。発祥の地・京都は、味オンチ、価格オンチの集積地か?

 宿は神戸のホテルオークラ。夕食は外で。特筆事項、なし。

 翌6日、ホテルで朝食を済ませ、西宮の西宮神社へ。朝から雨模様である。
 
 「諸国講社太々神楽祭」

 が始まったのは、確か11時前で、優雅な儀式が済むと昼食会という流れだった。

 が、そもそも、これ、何なんだ?
 という知識もなく運転手を引き受け、参列者名簿にまで名前が出てしまった私は、O氏に問いただした。彼の話で理解できたところによると、間違いが多々あるかも知れないが、普通の企業に例えれば、全国支社・代理店総会、といったものだそうだ。
 西宮神社はえびすの版画(御神影=おみえ、というらしい)を全国で販売し、収入の一部としている。本社で販売するのは当然として、本社では手の届かない地方では、支社、契約関係にある販売代理店が売る。本社としては売上げが増える方がありがたいわけで、そのためには支社、代理店に渇を入れる必要がある。そこで毎年本社に呼んで、改めて「えびす様のありがたさ」を確認しあうようなのだ。

 ま、どこまで正しい理解かは私の判断を超えるが、それはそれでよいとしよう。祭では参列者が見守る中、雅楽が奏されて神楽が奉納され、なにやら荘厳な雰囲気が醸し出される。

 と書いたが、そこは不信心、無信仰の私である。荘厳な雰囲気などどこ吹く風で、私は

 「ふーむ、古代に日本人とは、なんとゆったりした時間の流れを楽しんでいたことか」

 とひたすら感心していた。とにかく、厳かなのだ。厳かすぎて、刺激が少なすぎて、睡魔が沸き上がる儀式なのである。

 「同じゆったりした時間なら、午後は仕事なんかしないで昼寝をしましょうよ、というシエスタの方がありがたいな」

 などと罰当たりなことを考えたのも私である。ねえ、シエスタの方が体力を温存できて、夜の楽しみが広がるもんね。

 で、これ以上詳らかに書くと、どうもO氏の叱責を受けそうな方向に筆が滑っていきそうなので、西宮神社体験記はこの程度にする。さらに詳しく知りたい方は、お問い合わせ下さい。


 昼食が長引き、西宮神社を出たのは午後3時前後。雨の中、ひたすら四日市に向かって車を走らせた。途中で道を間違え、亀山で高速を降りて一般道を近鉄四日市駅へ。到着したのは午後4時半を過ぎていた。ここで私のご主人どもと別れ、彼らは伊勢へ、私は啓樹、嵩悟の待つ長女の家へ。

 「啓樹、いま四日市駅だ。これから行く」

 と電話をして車を走らせ、到着すると2人が駐車場で待っていた。待ちきれなくなって12階から降りてきたらしい。

 「ボース!」

 と声をかけてくるが、2人は恥ずかしがり屋である。飛びついてくるようなことはない。ムズムズする身体を必死で抑えているのだろう。

 土産は、途中で買ったたこ焼き、肉まん、豚まん、それにプリン。桐生から妻女殿が私に持たせたもの。まあ、かなりの量ではある。
 まず2人と風呂に入り、家で夕食。

 先日まで、ダース・ベイダーなどの悪人が怖くて映画を見ることができなかった嵩悟もいま、スター・ウォーズにはまっているらしく、食後はライト・セーバーでのチャンバラに駆り出される。2本のライトセーバーを振り回す嵩悟を捕まえ、押さえ込んでこちょこちょ。そのうち2人は勉強をはじめたので、私も読書。
 パパが仕事から戻ってきたので一緒に酒を飲む。

 翌7日は、嵩悟が待ちに待った日であった。ほしいものがあるのである。

 「ぼす、トイザらスでね」

 という会話は前日から始まっていた。なんでも、NURFという、スポンジ弾を連続して打ち出す銃がほしいらしい。ほしくてほしくて、自分の小遣いを貯めて買おうとしたが、惜しいことに200円足りなくて買えなかった。そこへ、ボスが来るとの一報がきた。

 「おお、財布が車に乗ってやって来る!」

 と嵩悟が考えても不思議ではない。
 が、すんなりと願望が充たされるほどこの世は甘くない。

 「えーっ、嵩悟、ボスとトイザらスに行っていいって、パパが言った?」

 というのはママである我が長女だ。

 「うーん、まだだけど」

 子供とは正直なものだ。パパが帰宅すると、嵩悟は

 「ボスとトイザらスにいっていい?」

 とパパの許可を求める。

 「嵩悟、どうしてトイザらスに行っていいのかな? 嵩悟はいい子になったのかな?」

 「うん、いい子になるもん。ママのお手伝いをするし、お皿を拭くし、お勉強もする」

 という会話が前夜繰り広げられ、この日、嵩悟は晴れてトイザらスに姿を現したのである。

 念願のNURFを手にし、次いで大きな本屋さんへ。啓樹と嵩悟が読みたい本をかき集め、支払い。

 「ボス、ありがとう」

 まあ、いいわ。横浜の瑛汰と璃子はしょっちゅう本を買ってるからな。

 そばで昼食して帰宅。嵩悟は早速NURFを取り出して試射。

 「お兄ちゃん、これ、すごい! すごく飛ぶよ」

 啓樹は電動式のNURFを所有しており、2人でガンマン対決を楽しむ。

 「さあ、兜の写真を撮らなくちゃ」

 こどもの日は過ぎたが、居間には五月人形が2人分飾ってあった。啓樹、嵩悟の成長を祝うのである。一緒に写真を撮ってしまうつもりで残していたのだという。

 「だったら啓樹、これで撮ってみろ」

 持参した、買ったばかりのD-750を啓樹に持たせ、写真を撮らせた。数枚写真を撮った啓樹は

 「これ、すごい! 気に入った!! ボス、新しいカメラ買ったら、これ、僕にちょうだい」

 ほー、お前はカメラの良さがわかるか。
 そういえば、お前は自分のデジカメで、レゴを使ったコマ撮り映画を作ったこともあるんだよな。確かに、あのデジカメより、この1眼レフの方が、そんな目的だったら使いやすいかも知れない。それに、そもそも画像がきれいだし。

 だけど啓樹、これはやれない。だって、ボスが人生最後のカメラとして買ったんだよ。ま、ボスが死んだらお前が使ってもいいが、でも、その頃にはもっといいカメラが出てるぜ。

 ん?

 「それだったら、啓樹、これまでボスが使っていたカメラはどうだ? ただこれは、おじさん(つまり、私の長男)にやるって約束しちゃったんだよな。だから啓樹、おじさんに電話をして、あのカメラ、僕にちょうだいっていいな」

 その話を聞いていた長女が口を挟む。

 「啓樹、電話しな。おじさんはカメラぐらい自分で買えるよね、っていいな」

 だが、いまや児童会長を務める啓樹君(ちなみに、私はそんな役職には就けなかった)は、晴れがましい肩書きにもかかわらず、意外に気が弱いのだ。自分の利益になることを他に求めることを厳しく自制する。
 この日、トイザらスでも、

 「お前はほしいものはないのか?」

 というボスの問いかけに、スター・ウォーズグッズの棚に目を釘付けにされながら、

 「僕はいいよ」

 といってしまうのが啓樹である。そんな性格ともいえる。おじさんに電話をしな、といわれても、なかなか携帯電話を持とうとしない。焦れて私が、長男に電話をした。

 「はい、もしもし」

 と応じたので、啓樹に引き継いだ。

 「あのしゃ、ボスに言われたんだけどしゃ、あのー、ボスのカメラなんだけど、あれ、おじさんがもらうの? ああ、そうなの。でもさ、僕もほしくって、ボスにいったら、おじさんがいいというんなら僕にくれるっていうんだけど」

 どうやらいい返事が聞けたようで、啓樹の顔に笑みがこぼれた。これで、D-90の行き先が変わった。

 やがて午後3時。啓樹、嵩悟に別れを告げて近鉄四日市駅まで同行者を迎えに行き、桐生へのドライブをはじめた。総距離400km。伊勢湾岸道路、東名、新東名、圏央道、関越、北関東道と走り、途中2回、サービスエリアで休憩を取って(何しろ、老人クラブの長距離ドライブで、おしっこが近い人がいるのだ)、桐生に入ったのが8時前後。5時間で走ったことになる。

 「いやあ、うちに着くのは11時頃かと思っていたら、こんなに早く着いちゃって」

 我が雇い主はそうおっしゃった。まあ、高速が空いていたし、幸い、お巡りさんに止められることもなかったからね。

 O氏と焼き肉で夕食をとり、10時頃家に帰った私は、だが、流石に疲れていたらしく、10時過ぎには布団に入って寝込んでしまったのであった。

 というわけで、今日も若干疲れが残っている感じはするが、まあ、大過なく(車に傷が増えたのを除けば)戻ってきて、これもえびすさんの御利益? とすると、車に傷をつけたのは、やっぱり伏見稲荷のお狐さんどもか。

 たかが狐の分際で、覚えてろよ、手前ら。この落とし前はきちんと付けさせてもらうからな!

 と、疲れた頭で今朝から毒づいている不信心、無信仰の私である。


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