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 2016年11月22日 労働

 先週末は仕事に追われた。それも、普通の仕事ではない。なんと、この私が公式カメラマンに抜擢されたのである。

 私が公式カメラマン? 俺、写真下手だぞ!
 という私の抵抗をものともせず、この無謀な仕事の割り振りをしたのは、桐生西宮神社えびす講を運営する方々である。何でも、昨年までは代表者が仕事の合間に記録用の写真を撮っていた。ところが、どう考えても一人二役は無理と判断した。そこで、カメラマンとして私をを雇うのだという。

 「だって、俺、ホントに写真は下手なんだから」

 「いいがね。いいカメラを買ったんだから、カメラがいい写真を撮ってくれるよ」

 という、論理的な、あるいは没論理的な説得に私は負けた。多少いい道具を持つと、断るべきものも断れなくなることを初めて学んだ。


 桐生えびす講は19、20の両日であった。
 初日の19日は朝から雨だった。私は午前9時前に自宅を出た。桐生西宮神社からかなり離れた駐車場に車を止め、傘を差し、カメラを首から吊し、肩からバッグを提げるという不自由な姿で本町通に出た。露店の準備風景をカメラに納めるためである。

 使うのはNIKOND750。これ、かなり重い。しかも、雨だから左手は傘を支えるのに忙しい。この重いカメラを操る役割は右手だけになる。やりにくさはご想像の通りである。

 無論、単焦点レンズなら、ただスイッチをONにし、どうせ自動焦点レンズだから右手でカメラを持ってシャッターを押せば、映るだけは映る。が、あいにく、私が使っているのはズームレンズである。ということは、レンズの筒についているリングを回し、ズーム率を決めなくてはならない。これ、使える手が右手だけでは絶対にできない操作である。
 では、どうするか。
 問題は、左手を占領している傘である。左手を傘の支配から脱出させなければならない。ために、写真を撮る時だけは腕と肩で傘を支えるのである。不自由極まりないポーズだ。

 かくして、私は歩き、立ち止まって不自由なポーズでシャッターを押し、再び歩き始めるという難行を繰り返しながら、本町通から参道に入り、長い石の階段を上って本殿にたどり着いた。ここが待機場所である。

 さて、えびす講を写真に納めるといっても、いったい何を撮ればよいのか?
 昨年までの私は暇な時間にちょいとだけ顔を出して露店をひやかし、階段を上って参拝風景を眺めただけの単なるアウトサイダーに過ぎなかった。賽銭を上げるわけもなく、お札を買うわけでもない。おみくじなんてまったく関心がない。いってみれば、究極の不信心者である。えびす講を映像記録で保存するなどという殊勝な意図なんて持ったことはない。

 「ふむ、何を撮る?」

 出し物は必須であろう。
 太々神楽、神楽のリズムに乗って演じられるフラメンコ、機織姫、お猿の篭屋のからくり人形、それに和太鼓の演奏。

 神楽殿から蒔かれる福袋を手にしようと沢山の人が競う福まきも絵になる。これ、神楽殿の上から撮ればいい図柄になるんじゃないか? なにしろ、私には「桐生西宮神社」の腕章がある。公式カメラマンなのである。不信心者とはいえ、神楽殿に登るのも許されるはずである。

 そうそう、祭りの最大の楽しみは露店である。縁起物の熊手やお宝はもとより、お好み焼きから回転焼き、焼きそば、飴、じゃがバター……。何でも400店舗ほどあるというではないか。その店頭のやりとり、客の表情、菓子を手にして喜ぶ子供。撮影ポイントは多いはずだ。

 参拝の順番待ちで長く伸びた人の列も撮っておかなくては。押し合いへし合いする人の波を上手く表現するにはどう撮ればいい? よし、カメラを頭上に持ち上げて高所から撮れば、ずらりと並んだ頭が全部画面に入り、その先に本殿があるという図柄になるはずだ。

 女子大生が扮する巫女さんも必要だろう。境内広場の商店街も抑えておくポイントか。うん、ここで実況中継しているFM桐生の放送ブースも、絵にはならないが、まあ、撮っておいた方が無難かな?

 てなことを考えながら、私はひたすら人の波の中を泳ぎ回った。雨は昼前にはあがり、午後からは人出に勢いが付いた。

 「おい、桐生ってこんなに人がいたっけ?」

 たまには知りあいに会う。

 「いや、俺、公式カメラマンでさ。ところで、いつ飲みに行く?」

 その日、自宅に戻ったのは午後9時過ぎ。すぐに風呂に入り、禁酒日である土曜日であるにもかかわらず、ビールの栓を抜いた。いや、疲れた。これが飲まずにやってられるか!

 20日。前日のうちに600枚ほどの写真を撮った私には多少のゆとりが生まれ、自宅を出たのは午前10時。警察の警備本部を撮り、

 「そうだ、スナップ写真もいいんじゃないか?」

 と外国人のカップル、石の階段に座り込んでお好み焼きを頬張る親子連れ、何が楽しいのか笑いっぱなしの女子高生グループ、全員車いすでやってきたお年寄りの集団、射的に熱中する悪ガキ、招福くじの当選者、手水舎で汚れを落とす参拝者……。

 撮りも撮ったり、2日間でその数約900枚。ま、これだけ撮っておけば記録としては充分だろうて。


 で、結論。
 俺って、下半身弱ってるわ。だって、両足がパンパンにはってるもん。
 そりゃあ、歩きづめの、上り下り詰めの2日間ではあった。いまはもう万歩計は身につけていないが、恐らく、1日1万歩以上歩いたのではないか。でも、だ。たったそれだけで足がこんなにはるか? 20年前、チェコのプラハでは1日で3万歩は歩いたぞ。それでも、何ともなかったぞ!
 確かに、桐生に来て歩いてないもんなあ……。それに加える20年……。

 あ、もうひとつ結論があった。
 この季節、衣服の調整が難しい。朝、自宅を出る頃は結構冷え込む。ために、セーターの上に革のジャケットを羽織り、首は松井ニットのマフラーで防護する。
 が、傘を差して歩いているうちに身体が温まってくる。身体だけでなく、気温も上がる。まず、マフラーをとり、なくしてはいけないから肩掛けバッグに縛り付ける。さらに歩いていると汗が出始め、やむなくセーターを脱ぐ。持ち運びの便のため、セーターを腰に巻く。それでも汗が止まらなくなる。これでは革ジャケットは不要だ。が、こいつは腰に巻くわけにはいかない。ほかに手段もないため、やむなく手で抱える。作業がしにくいこと、この上ない。
 ところが、だ。本殿にたどり着いて腰を下ろし、ハンカチで汗をぬぐっていると、やがて肌寒くなる。汗が乾いて気化熱を奪うこともあるのだろう。で、セーターを着る。ずっと座っているのならそのままでいいのだが、こちとら、公式カメラマンである。出歩かねば仕事にならぬ。今度はセーター姿で歩を運び、でもやっぱり発汗する。またセーターを腰に巻き、本殿に戻る。今度は寒くなる。セーターをまた身につけ、夕刻ともなれば革ジャケットも必要になる。

 「これ、風邪ひくわ」

 ひいた。今朝になって鼻水が止まらなくなった。昼近くには納まったが……。
 この時期の祭り、外回りの仕事をする高齢者は、風邪をひくリスクと二人三脚である。

 で、最終的な結論。

 腰が痛い。ロキソニンを飲むか?


 何でも、千葉大生が集団強姦をやらかしたそうだ。早大生といい東大生といい、今時の学生は何を考えているのか?
 っていったって、人間、どんな集団を作ろうと、一定割合でバカが出現することは避けられない。町内会でも、PTAでも企業でも、所属員の一定割合はとんでもないことをしでかす恐れがある。それは東大でも京大でも千葉大でも早稲田、慶応でも変わりはない。だから、犯罪自体にはたいして驚きを感じなかった。

 違和感を持ったのは、千葉大の学長(だったと思う)がテレビカメラの前で謝罪していたことである。
 おいおい、大学って、そんなことにまで責任を持たねばならないのか? 大学って、最高学府だぞ。そこに通う学生は、自分で自分を律することができるはずではないか? 良きにつけ悪しきにつけ、すべてが学生の自己責任であるのがキャンパスライフではないのか?

 ねえ、あなた。大学に通った経験がある方ならおわかりでしょうが、大学なんて学生の生活指導まではしないでしょ? 勉強をちゃんと教えてくれるかどうかはともあれ、大学がやるべき事は学生に学問をさせることで、

 「強姦は割に合いません。和姦の仕方を覚えましょう」

 なんてことは教えてくれなかったでしょ? また、そんなことを教えなければならない場でもないでしょい? そんなことについてまで、どうして大学が責任を感じなければならないのか?

 世の中から急速に原理原則が失われつつある、と嘆いているのは私だけではないと思いたいのでありますが……。


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