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 2017年3月18日 キュウト

 8年前桐生に普請して、始めて市長とさしで会った時のことだと記憶する。

 「桐生はキュウトですからね」

 と市長がいった。

 キュウト? 聞き慣れぬ言葉である。我が脳中のデータベースを高速度で検索した。ふむ、これか?

 私が濁世時代を過ごした博多には、朝食におきゅうとを食べる風習がある。正体は海藻の加工食品である。ネットで調べると、エゴノリ、沖天、テングサからできる。一見して、ところてんのような食べ物である。
 はあ、そうか。博多は海辺だから海藻を食べるのだと思っていた。海がないにもかかわらず、桐生でもおきゅうとを食するか。それはそれは。少しばかり変わった方々だが、食文化が相通じていれば何となく仲良くなれそうだなあ。

 だが、待てよ。あれはおきゅうとである。ところが、市長が口にしたのはキュウトである。いつのまに「お」が抜けた? そうか、「お」は丁寧語だ。だから、丁寧語を使わなくてもいい相手には「お」を抜くのであるか。だが、博多ではみな「お」をつけていたけどなあ。「お」抜きは一種の桐生方言か?

 いや、本当にそうか。おきゅうとを食べるとして

 「桐生はキュウトです」

 なんて言い方をするか? この市長、日本語が下手なのか? 国語の成績は小学生時代から「2」以上は取ったことがないのか?
 しかし、ここは何か返事をしなければまずい。せっかく流れ始めた会話が途切れてしまう。

 「はあ、おきゅうとなら学生時代にいた博多でみんな食べてますけど、桐生でも食べるんですか?」

 すると、市長は怪訝な顔をした。

 「食べる? おきゅうと?」

 何か外したらしい。まずい!

 「ハア、博多じゃ毎朝食べるんですよね。昔はおきゅうと売りが町内を回ったそうで」

 市長の顔に生気が戻った。いや、あれは怒りの色だったか。

 「いやだなあ。それ、違います。私がいったのはキュウト、漢字で書くと球都です。桐生は昔から野球が盛んで、球都として知られているんですよ」

 桐生が野球で知られている? 球都と呼ばれている? 知らんぞ、そんなこと。俺、基礎教養に欠けるか? 事前にネットで調べてきたけど……。

 ああ、そういえば、確か桐生第一高校が甲子園で優勝したよな。だけど、あの程度のことで「球都」なんて呼ばれるか? 俺の生まれ故郷の大牟田だって、三池工業が甲子園で優勝した。だけど、誰も「球都」なんて大それた言葉で大牟田を表現したことはないがなあ。

 という次第で、私は桐生の方々が、自らの町を「球都」と称されていることを知った。だから、いまでは私の基礎教養の中に、

 桐生=球都

 というデータはしっかり保存されている。

 しかし、だ。桐生市議会のアホどもの動きにはあほらしさを通り越して、

 「こいつら、幼稚園をちゃんと卒業することが出来る程度の頭脳を持っているのか?」

 と嘆息した。
 地元の桐生タイムスによると、市議会経済建設委員会が、「球都」として知られる桐生の特徴を生かし、野球観光推進事業で町おこしをするべきだという提言をまとめた。行政や各種団体が連携して、この事業を推進する「野球観光コミッション」の設立までご提案されたという。しかも、官民の関係者を招いて、この政策提言の発表会を開いたのだというから、彼らの恥知らずぶりを修飾する言葉を探すのが難しい。

 ねえ、この「らかす」を読んでいただいている皆さん。あなた、

 キュウト

 っていわれて何を思い浮かべます?
 私はおきゅうとでした。あなたは何でしょう? 「球都」なんて漢字がすぐに思い浮かびますか? 99%の方は無理ではないかと愚考するのですが。

 まあ、ここからは99%が「球都」を思いつかないという前提で話を進める。
 であれば、桐生で野球観光なんて成立するはずは、120%の確率でない。私はすでに8年も住んでいるが、町の何処に行っても野球に関係する観光地、観光施設はない。市営球場だってプロ野球の公式戦が来るわけじゃないし、夏の高校野球県予選だってほんの3日開かれるだけ。3回戦になると、桐生球場は蚊帳の外に置かれるのである。2014年の改修工事でナイター照明設備ができたが、聞いてみると、ほとんど夜は使われてはいないそうだ。改修事業は税金の無駄遣いに終わった。

 そんな町で野球観光? 市議会の皆さん、顔を洗うみそ汁がなかったのだろうか?

 考えてみれば、観光とは最も安易な町おこしの手法である。唱えるところは多いが、成功した事例はほとんどない。

 私が札幌にいた時であった。当時は一村一品という町おこしが全国的なブームで、北海道も何かやらねば、と道内の市町村に、それぞれの一村一品を出させた。
 そこまでは、お役所仕事としてよくわかる。唖然としたのはその結果だった。
 ざっと8割の自治体が

 観光

 と答えたのである。
 確かに、北海道は観光資源に恵まれている。札幌でも小樽でも函館でも、最近はニセコでも摩周湖でも、羨ましくなるほどの観光資源の豊富さだ。
 だが、8割の自治体が観光を売りにする? いくら北海道だといったって、80%の大地に観光資源があるわけじゃないだろう。では、この結果は何だ?

 考えた。多分こうなのだろうという答えが見つかった。政治家、役人の身過ぎ世過ぎである。
 誰しも、長年暮らししている地元には愛着がある。ほかよりいい土地だという思いも、主観的には多くの住民が持っている。ほかの土地に住んだことがないのだから正確な比較ではないのだが、人とはそのように地元を愛してしまう、愛さなくては空しくなってしまう生きものである。
 そこに政治家、役人のつけいるスキがある。

 うちの一村一品。考えたけど、何もない。さあ、困った。どうする?
 こうして行き着くのが観光である。

 「なあ、甚兵衛さんよ、あんたこの村が好きだろう?」

 「ああ、好きだ」

 「いい村だよな」

 「いい村だ」

 「都会者も、この村に来たらいい村だって思うよな」

 「そうだなあ、こんないい村だから、都会モンだっていい村だと思うべな」

 「我が村の一村一品、一番いいのはこの村の自然だよな。この村の自然をつかってよそ者に遊びに来てもらう。観光だよな」

 「なるほど村長よ、流石村長だよな。それはいい!」

 ってなかいわがあちこちで展開されたのではないか。
 地元の人たちは有権者でもある。政治家は有権者を怒らせてはならない。有権者の脇の下をくすぐり、いい気持ちにさせねばならない。地元を褒められて怒る人はいない。都会人にも喜ばれるといわれていい気持ちにならない人はいない。
 有権者を誰も敵に回さず、気持ちよくさせる。そして、選挙の時は俺の名前を書いてもらう。

 我が村=都会人も喜ぶいい村=観光

 この図式さえ描いておけば、我が村では何の問題も起きない。いや、観光立村が道に認められて補助金でも出れば観光施設を作る公共事業がやれる。そしたら、いつものように「袖の下」だって期待できる……。

 80%を支えたのは、そんな事ではないのか?
 
 ここから私は、一般則を見つけ出した。

 観光とは、町おこしの知恵がない自治体が最後に担ぎ出す切り札である。

 それがいま、桐生市議会のお歴々がやろうとされていることである。

 しかも、この話にはもうひとつ違った面もある。
 桐生でいう「球都」の中核は、甲子園で優勝旗を手にした桐生第一高校ではないのだ。「球都」「球都」と連呼される方々が誇りとされるのは桐生高校なのである。

 記録によると、桐生高校(地元ではキリタカという)の野球全盛期は昭和8年から昭和42年まで。この間、夏の甲子園に12回出場した。だが、優勝経験はない。昭和30年に準優勝したのが最高である。とすると、35年間で12回甲子園出場を果たしたのがよほど嬉しかったのだろう、としか思えない。

 だが、である。観光で町を興すとは、よそ者に遊びに来させることである。ではよそ者にはどう写るか。

 私は昭和24年生まれのよそ者である。
 この高齢のよそ者が、「高校野球」「桐生」の2つのキーワードで思い浮かべるのは桐生第一高校である。桐生高校なんて、ここにくるまで存在すら知らなかったのだ。

 「いや、もう少し高齢の高校野球ファンなら桐生高校の甲子園での勇姿をを知ってるはず」

 というか? はあ、遊びに来るのは超高齢者ばかりでもいいってか。
 それはそれとして、そりゃあ、高校野球が飯より好きな変わり者の記憶にはあるかもしれないが、あからさまにいえば、よそ者は群馬県の代表校なんぞには関心はもたないものである。12回も優勝したというのなら別だが、12回も甲子園に出た、だから「球都」だとといわれても

 「へーっ」

 でおしまいになるのが関の山だ。

 そりゃあ、地元の歴史ある名門校が12回も甲子園に出ていたら、地元の誇りではあろう。だが、よそ者は地元の誇りには関心を持たない。地元の誇りをよそ者に押しつけようとするのは

 井の中の蛙

 だけである。

 程度の、客観的な視点、広い視野を、市議会議員ともあれば持って頂きたいと思うのは無い物ねだりか?
 ねえ、桐生市議会議員の皆さん……。



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